8
123567
戻る

5日目
朝8時ぐらい起床。
計12時間近く寝たってことになる。
目覚めもパッチリで、快晴の朝を迎え、気分も爽快である。

そういやダイゴさん達はどうなっただろうと思って、寝ているもっちを残してロビーに向かった。
「Yesterday my Friend?」と言うと、スタッフは頷いて、名簿を見せてくれた。
たしかにダイゴさん達の名前が書かれてあった!
喜んだ俺を見て、スタッフは部屋まで電話をしてくれた。
そして、その電話を俺に渡すのだった!
俺は聞こえないので困ったが、一応「ハオです。今、ロビーにいますよ!待っています」と言ったが、相手に通じたかどうか不安。
電話の音量がめちゃくちゃ小さいのだ。
すると、スタッフは名簿に書かれてあるダイゴさん達の部屋の番号を教えてくれた。
ハオはその部屋の番号を記憶して、「Thank you!」と早速その部屋に向かった。

ドアをノックすると、中からダイゴさんが眠そうに出てきた。
寝ている最中だったらしい。
ヒラガさんも眠そうな顔をしている。
「ああっ!寝ているときにすいません!昨日来なかったから気になっていたんですよ。」と慌てて言うと、ダイゴさんはゆっくりと出来事を説明してくれた。
「昨日は大変だった…真夜中1時に来る列車が遅れてね。3時まで待っても来ないので、聞きに行くと、その列車が無くなったという話を聞いてびっくりしたんですわ。そして、5時発の列車に乗って、昨日20時ぐらいホテルに着いたんですよ。そして、君んとこのドアを何度も叩いたけど出てこないので、諦めたわけです」
「列車が無くなったぁ!?」と驚いたが、インドではそういうのはよくあるらしいです。
本当に眠そうだった2人だったので「了解しました!一緒に食事できなかったのは残念だけど、いたことを確認できて安心しました。俺たちはこれから久美子ハウスに移りますので、もしどこかで会えたら会いましょう!」と部屋を出た。

自分の部屋に戻ると、もっちも起きていた。
もっちにダイゴさんから聞いたことを一部始終説明した。

9時半ぐらい俺は「そろそろ出発しようよ。昼になると暑くなるので、それまで急いで久美子ハウスに移ろうぜ」と言い、チェックアウトを済ませ、ホテルを出た。

ホテルからバラナシ駅まで歩いて、バラナシ駅からリキシャ(20Rs)でガンガー河の前まで運んでもらった。
その運転手も20Rs以上チップをよこせと言うが、「No!!」と激しく断って、さっさとその場を去る。

10時半ぐらい、久美子ハウスに到着した。
久美子さんから「しばらく待ってねー!!」ということで、待合室らしいところで荷物をおろし、待ってみる。
そのとき、犬がこっちにやってきた。
なんとこの犬は、さいとう夫婦先生の漫画に載っていたグァテマラのファーファに似ているのだ。
思わず「ファーファ」と呼んだバカみたいな俺だが、その犬はジョージと言う。
人なつっこくて可愛かった。
うちも婆さんちでジンという犬を飼っているので、犬が喜ぶコツを少し知っている。
犬は大抵、体中を掻いてもらうと喜ぶのだ。
それをやってみると、大喜びのジョージ。
俺の側を離れなくなったのが困った(笑)

そのとき、一人の老人が座った。
もっちが「あー!久美子さんの旦那さんだよ」と言う。
よく見ると、そうだった。
さいとう夫婦先生の漫画通りだったのだ。
久美子さんの旦那さんはシャンティと言って、インド人。
とても優しそうな目をしていたが、日本の本、ネットとかではシャンティさんを「おせっかい」と呼ぶそうな(笑)
聞こえないので分からないが、なんか毎朝日本語で「オハヨーゴジャイマス!朝デスヨ!ボートニ乗ル人ハ 起キマショー!眠イ人ハ 寝マショー!」と言うらしい。

シャンティさんはゆっくりとした動きで、壁の方向に指を指した。
その壁を見ると、ポスターが貼ってあって「読ンデ クダチャイ」と言っているらしい。
そのポスターに目を向けると、その宿に泊まる前の注意事項があった。
見てみると、門限とか朝飯時間とか夕食時間とか夜、外出は禁止とか麻薬持込禁止が書かれてあった。
俺たちは聞こえないので、シャンティさんは言わなかったみたいだが、健常者には注意事項を読み上げなければならないのだ。
小さな声で読み上げると「ダメデス!モット 大キナ声デ 最初カラ!」と注意されるのである。
これにはちょっとした訳があるのだ。
依然、ここに宿泊していた日本人が行方不明になった事がある。
バラナシという街は、聖地でもあるがインド有数の観光地でもあり多くの観光客が訪れる。
その観光客を狙った犯罪が多発しているのである。
行方不明になった人は多く、次の日「ガンジス河に死体が浮かんでた。」なんて話も、珍しくはない。
そんな事も含め、シャンティさんは平和ボケした日本人が心配でしょうがないのであろう。

30分後、部屋まで案内してくれた。

ダブルルームで、少々汚かったが、まあまあの部屋だった。
ベランダのドアを開けると、ガンガー河が目の前に広がって見える。

早速、義償さんのところに会いに行く。
義償さんは部屋にいて、「どうぞ、どうぞ」とすぐ歓迎してくれた。
色々世間話をしていているとき、「昼飯食べに行く?」聞かれた。
こうして2回目も義償さんと昨日行った同じ店で食事をすることにする。

もっちはインターネットカフェを探していたときに、この店もパソコンが使えることに気がつく。
日本語でも見られるパソコンであり、15分で10Rsだった。
最初にもっちがインターネットをやって、次が俺もやってみることにする。
大切な人に旅の状況をメールで送った。
しかし、昼前は混線しており、一つのページを開くのに2分ぐらいものすごい時間がかかるのだ。
隣の白人も"遅いね"と笑っていた。
一人送っただけでもう15分も過ぎており、沢山の人に送れなかったのが残念だった。

食事は日本料理の「Tamagodon」とコカコーラを注文した。
これで所持金は800Rs前後になった。(約2500円)
実にやばすぎる。


しかし、不思議だったのは、所持金が少なくなるほど、気持ちも強くなっていくのだ。
所持金が多めだと、周囲に気を使って警戒深くなる。
所持金が少なくなると、泥棒に合っても大丈夫ような態度になる。
なので、物乞いが来ても「お金ねーんだよ!貧乏人からもらうな!」と言える態度になれるのだ(笑)

食事後、久美子ハウスに戻って、世間話に戻る。
義償さんは画家であり、旅をしながらあちこちで絵を描いているのだ。
「その絵は幾らで売れるのかな?」と聞いてみたところ1枚で15万円ぐらいするらしい。
そして、義償さんは秋田住まいであり、インドのVISAを入手するのにお金がかかる。
義償さんは、ネパールに渡ってからそこでインドのVISAを申請するのだ。
その方が時間も短く、安い値段で済ませられると教えてくれた。

そのとき、義償さんが「朝、晩に食事はここで食べる?」と言われた。
思い出した。
食事のことで久美子さんに言っていなかったのだ。
「宿泊代は2人で120Rsだが、食事代も含まれているだろうか?」と聞いたところ「含まれていない」と言われた。
「食事代はいくらだろうか?」と聞いてみると「1食20Rs。朝と夜で40Rs」
安すぎる!!と俺ともっちは驚いた。
毎日、100円で食べていけるのだ!
早速、俺は久美子さんのところに行き、食事も含めて欲しいと頼んでおいた。
これで毎日食事がバナナではなくなったので、安心した。

義償さんの話を色々聞いて、俺も絵を描きたい気持ちになってきた。
しかし、スケッチブックがないので、買わないと…と思っていると、「うちのをあげるよ」と紙をたくさんもらった。
そして、おまけに「描き終わった絵をここで色を塗ってもいいよ」と言う。
寛大な心をもつ義償さんに感服した。

昼2時ぐらい、「火葬場を見に行きたいなあ」と思って、火葬場に行くことにする。
義償さんに昨日見た火葬場より大きいところを紹介してもらって、そこに行くことにした。
義償さんは「僕は絵を描いているから、2人で行っておいで」と言う。

久美子ハウスを出て、火葬場に出るところで俺はボードそしてもっちの自画像を描き、もっちはガンガー河全体を描いた。


そして、ガンガー河沿いを、長い長いでこぼことした複数の階段を渡っていった。

10分ぐらい煙らしいのが見えてきた。
たしかに昨日よりも大きいところだった。
沢山の人が集まっており、沢山の死体が焼かれていた。
しかもよく見える位置なので、俺はその死体をじっと眺めていた。
布にくるまれた何体もの遺体が焚き木で燃やされている。
そしてその布も燃えて、中から黒くなっている人間の皮が見えてきた。
隣に焼き終わっている真っ黒になっていて分解されている死体を見ると、よく燃やすために棒で頭骸骨を割って、中から脳みそが見えたのだ。

当時は気持ち悪いとは思わなかった。
人間の死というものをしっかり目に焼き付いておこうと思っていたのだ。

そのとき風向きが変わって、煙がうちらのところに襲ってきた。
もっちは「異臭がする」と言っていたが、うちは「牛肉を燃やしたステーキのにおい」としか思えなかった。

そのとき、10代ぐらいのインド人が声をかける。
なにを言っているのか分からなかったが、よく口元を見ると「Family」「Family」と言っているのが分かった。
どうやらここは家族が見るための場所みたい。

そして、観光する建物まで案内してくれた。
その建物の中はとても暗かった。
俺はその建物から火葬場を眺めていた。

するともっちが嫌がった顔をしている。
「どうしたんだ?」と聞くと、30代の男が寄ってきて欠けた歯で"ハッパ ハッパ(麻薬)"と言っていることが分かった。
そういやその男の顔は少々ラリっている。
「いらねーよ!」とことわるが、もっちは「ここを出たい」と言う。
別に気にしなくてもいいじゃん…と思うが、もっちは入り口まで逃げようとするが、入り口前で、男が立ちふさがる。
顔色の悪いもっちを見て、俺は仕方なくここを出ようと思って、「どきな!」という態度でこの建物を出る。

そのとき、10代のインド人は"タバコが欲しい"と言ってきた。
ここに来る前に購入したインドタバコのビリーを1本差し上げて、ライターで火をつけてあげると、その10代のインド人はこのライターを珍しがって、そして欲しがっていた。
俺は「change(交換)」と言うと、「Ok!」とこの10代のインド人はライターをポケットに閉まって、"ついておいで"と迷路みたいな通路に連れ去れた。

心配するもっちだったが、俺は「ちょっと待ってくれ」と言って、その10代のインド人の跡をついていった。

迷路は複雑だった。
俺は帰りの道を覚えるために必死に道を覚えた。
徒歩2分のところに、10代のインド人のお店があった。

そのお店に子供達が商品を売っている。
10代のインド人は"入れよ!"とお店の中に入っていった。
なんだろうと思って、お店の中に入ると、なにもない個室みたいな部屋に連れ去れ、10代のインド人は座った。
「一体なんだよ!」と怒鳴ると"ハッパ ハッパ"と言う。
「No thank you!!」と怒鳴って、このお店を出た。
やばい予感がしたので、一応その場を早く去りたかった。

その前に「ライター返せ!」と言うと、「change」とお店の中にあるものを自由に選んでと言っているようだった。
どれも欲しくないものばかりだった。
とにかくタバコを吸うために必要なライター代わりをくれ!と言うと、マッチを持ってきて"これで交換だ"と言う。
冗談じゃない!こんな安物でライターと交換できるものか!と思って「NoNo!」とことわると、アクセサリーみたいなものも追加してくれた。

まあ、この辺で手を打とうかと思って、俺は急いでこの場を去り、もっちのところに戻った。
迷路みたいな通路で大変だったが、なんとか勘でもっちのところに無事に帰れた(笑)

そして、再度火葬場を一から眺め直した。
すると、もっちは「もうここはいいよ。俺は他のところに行きたい。」と言うが、俺は「火葬場を見ないとバラナシに来た意味がない。俺は最後まで見ておきたい」と言った。

そのときに、別のインド人が寄ってきて「No Camera!!」と言う。
はっ?
周囲がうるさかった。
俺は切れて「どこにカメラがあると思っているんだよ!?ちゃんと見てみろ!持っていねーよ!!」と無視しようとするが、その人は"ここはダメだ!上の建物に行け!"と言っているように聞こえた。
本当にうるさかった。
静かに見せてくれないのか…
周囲のインド人も見ているはずなのに、なぜ俺だけ言う?
上の建物ってどこだろうとうんざりして見ると、さっき「ハッパハッパ」と変な男が寄ってきたところだった。
俺は大声で「ノー、ハッパ!!」と叫んだ。
そのインド人は図星だったらしくびっくりした顔で、もこもこ言いながら、その場を去っていった。

やっと静かになった。
しかし、なぜかもっちがいなくなっている。
どこかに行ったんだろう?向こうで待っているのかな?と思って、俺はしばらく火葬を眺めていた。
5分後、もっちが気になったので、「ここまでにするか」と思って、もっちを探した。
しかし、どこにもいないのだ。
「なにやっているんだ?」と探し回ったがいないので、「どっちにしても久美子ハウスで会えるだろう」と思って、うちは久美子ハウスに戻った。

ここで一服しようとするが、もらったマッチは折れやすく、しかも全然火がつかないので困った。

久美子ハウスの前で、ガンガー河を描こうと思って、スケッチをしていた。
するといつの間にか周囲にインド人が集まってきた。
視線が気になったが、気にしないように絵を描き続けた。


そのとき、肩をたたかれた気がして、後ろを振り向くと「あー!!」と声を出した。
昨日、12時待ち合わせしても来なかった金子(女)さんである。
「昨日、どうしたんだい?」と言うと「ごめーん!リキシャが変な宿に連れ去れて、その宿に泊まったんだ。今は久美子ハウスで泊まっているよ。勿論、先生も一緒だよ!」と言っていた。
金子(女)さんは続けて「今、大変なんだあ!」と暗い顔になった。
「どうしたんだい?」と聞いてみると、「実は財布を落としたんだよね。今、探しているんだよ」
「ええっ!まじっすかあ!?大変ですね。もし、あった場合は報告しますね。」と励ますと「うん、ありがとう!じゃあ私は探しに行くね」とその場を去ろうとした。
俺は「ちょっと待って。もっちがいなくなってしまったんだ。もし見つかったら、久美子ハウスにいると伝えてね。」とお願いした。
「うん、分かった」と金子(女)さんはさっさとどこかに去っていった。
見つかることを祈っているが…

絵を描き終わって、「これでいいか!」と思った時に久美子ハウスに戻った。

義償さんの部屋に行ったが、鍵がかかっていたので留守だと分かった。
自分の部屋に戻って、ペットでのんびりしていた。
どのぐらい時間がたっただろうか?
部屋にもっちが入ってきた。
「どこにいたんだよ!?」と言うと「先生と偶然あったんだ。金子(女)さんが財布を落としたらしいので、一緒に探していたんだ」と詫びもせず言う。
人助けで、とても素晴らしいことだと思うが、「その前に俺になんか言えよ!突然いなくなったからこっちは心配だったんだよ!」と言った。
すると、先生が顔を出した。
「おおっ!さっき金子(女)さんと会ったよ。財布を落としたらしいですね。昨日はどうしたんっすか?」と聞くと、「ごめんごめん!!リキシャーが変なところに連れ去れて、仕方なく別の所で泊まることにしたんだ。急いでバラナシ駅に戻っても12時半過ぎだったので、君たちがいなかったので諦めたんだ」という話だった。
「色々あって災難でしたが、ここでこうやって無事会えたことにうれしく思うよ」と握手を交わした。

そして、もっちと先生は3階に登り、財布を探し回った。
俺は人の事はどうでもいいと思って、部屋でのんびりしていた。(冷たいが笑)
心の中では絶対見つからないだろうと思っていた。
日本と違ってここは海外だ。
自己管理が足りないと、まず見つかることはないということを俺は何度もテレビや本で見ている。

その後、屋上に上がろうとすると、優しそうなヒッピー風の日本人がいたので、自己紹介すると向こうも笑顔で紹介してくれた。
彼の名前は「ノビさん」と言って、ユニークに「俺はドラえもんの野比太!」と言っていた。

そして、屋上に行き、ガンガー河を眺めた。
すると、近くにヒッピー風の日本人が珍しいギターで音楽をひいていた。
音楽と青空とガンガー河。
これは最高の組み合わせだった。
おまけに風が気持ちいい。
俺はしばらくぼーっと眺めていた。
そのとき、もっちが来た。
探すのを断念したらしい。
俺は「なんかこういうのはいいな。日本じゃ滅多に経験できないなあ」と思った。


そして、部屋に戻ると義償さんが帰っていることが分かった。
早速お邪魔して、ハオともっちは義償さんから色塗りを貸してもらって描いた絵に色を塗る。
もっちの描いたガンガー河もうまかった。
お互いよい日本の土産になった!と思って、義償さんと色々お話をした。


義償さんから貴重な助言を教えてくれた。
俺らより40歳長く生きている分、色々経験している。
そして、この経験したことを話してくれた。
その中、一番印象強く残ったのは、義償さんの好きな言葉である。
義償さんは「峠」という言葉が好きなのである。
そのとき、俺は「???」と思い、病院の時「今夜が峠です」ということが好きなのか?とイメージしてしまった(笑)
義償さんは「峠」を説明してくれた。
分かったことは意味のことではなく、漢字の組み合わせが好きだと言っていた。
義償さんが中国に行ったとき、次の国に渡るために異国人と険しい山に登って、ようやく頂上に着いた時、気持ちいい風が吹いたのである。
その風は義償さんの体を通り過ぎた気がして、そこで「峠」という言葉が浮かんだのである。
「峠」という意味を教えてもらうと、こういう意味だった。
漢字を見ると、「山」「上」「下」と分かれてある。
それはすなわち、上と下が組合わさって、一緒に山に登るというイメージである。
つまり、障がい者でも健常者でも貧しい人でも金持ちの人でも動物でも誰でも関係なく平等に力を合わさって、一緒に山に登っていくという意味である。
俺はそれを聞いたとき、自分の心の中で電気ショックみたいなのが流れた。
「素晴らしい!」と義償さんに握手を求めてしまうぐらいだった。
そして、義償さんはこう言っていた。
「インドはこういうものがある。人間でも動物でも一緒に平等暮らしており、車でもお互い道をゆずりあっている。日本はこういうものがない。なんでも束縛されている。そして人間の心も支配されていくんだ。だから、俺は日本が好きじゃない。」
俺はなるほどと思った。
そして俺はこう言った。
「たしかに、日本に帰国すると人間皆はロボットに見えますよね。そして、自分も段々ロボットになっていく。これが恐ろしいですね。」
義償さんは頷いていた。
色んな同感な気持ちがあった。
そして、義償さんはもっちに厳しく指摘していた。
「もっちは旅に関してなんでもマイナスに思いすぎる。それじゃあ旅がつまらなくなるはずだ。なんでも自分から経験しようという気持ちじゃないと、自分の体はいつか壊れるよ(精神的も)」
俺も思わず「そうだそうだ!」と叫んでしまった。
もっちも「なるほど…」と深刻な顔になっている。

そして、もっちは義償さんに質問をする。
「義償さんは英語は使えるのでしょうか?」
義償さんは「いんや、英語は覚えていないよ。身振りでも通じるからね。英語は完璧覚えないと意味がない。なぜなら、完璧覚えないまま英語をそのまま使っても、逆に相手から英語をたくさん言われるだけだ。だから、逆に自分から日本語を沢山使えば、相手は黙り込んでしまう。そんなもんだよ。」
俺も大変納得した。
「英語に自信がないなら、日本語で言い返しちゃえ。」という言葉が浮かんできた。
その効果は実に高かった。
客引きがやってきても「いらねーよ!」「高いよ!」「しつこいっつーの!」「何を言っているのか分からないよ!」などの日本語で言い返すと客引きは黙り込んでしまった(笑)

そして、義償さんから「明日、6時半に起きて絵を描きに行くけど、君たちはどうするの?朝焼けも見れるよ」と言う。
俺ともっちはその好意をありがたく受け取ることにした。

19時15分ぐらい、ヒッピー風の青年が義償さんの部屋にやってきて「飯だよ」と教えてくれた。

そして、義償さんと3階に上がった。
すると沢山の日本人が輪になって、飯を食っていた。
その飯はテーブルに多めに入れてある食べ物を自分で好きなように取って、食べるのだ。
うちは空腹だったので、多めに取って食事をした。
今日は、白飯、粉吹き芋、カレー風野菜炒め、スープスパゲッティ、ウーロン茶であった。
俺としてはすごくおいしかったが、もっちは白飯はまずいと言っていた。

食事中、義償さんはイタリア女性ロリーラさんを紹介してくれた。
ロリーラさんは日本語達者だ。(と言っても完璧ではない)
ゆっくりゆっくり話してくれるから、分かりやすかった。
イタリア人なのでイタリア語で「Ciao(こんにちは)」とか「Grazie(ありがとう)」と言うと喜んで笑顔を見せてくれた。
イタリアオタクの親友がいたので、彼から教えてもらったことを記憶している。
「アナタハ イタリアノ ドコニ 行キタイノデスカ?」と聞かれたので、「ローマかミラノかな?」と言うと「イイトコロ ダヨ」とにこりとする。
義償さんの話によると、ロリーラさんはずっとイタリアに帰っていないようだ。
帰るとしても1年に1回ぐらいであり、ずっとアジア地方を周っている。
義償さんと同じく自分の国を嫌った放浪旅人のようだ。
年齢は40代前後。

食後、俺ともっちは屋上に行った。
星が複数見えて、夜空はきれいだった。
遠くから花火の音がする。
屋上で、先に日本人が固まっていて、音楽を聞いていた。
ろうそくを並べていて、線香を複数置かれていて最初見たときは危ない集団と思えた(笑)
暗くて見えなかったが、よく見るとノビさんが手を振っていて呼んでいた。
「どうぞ座って」と言っていることが分かったので、俺は言葉に甘えて座った。
旅のこと、自分達のことなど色々世間話をした。(勿論、暗くて口元が見えないので、全部筆談)

一番驚いたのは、名前は忘れたが40代のおじさんのことだった。
そのおじさんは全世界のほとんどを周ったそうだ。
うちが行ったフィリピンのバギオ、バラウェのことを話すと「俺も行ったよ」と言う。
ものすごい旅人だった。
ハオは「今まで行った国の中で一番おすすめなのはどこですか?」と聞いてみた。
すると、しばらく考えて、ゆっくりとした口調で「中国かなあ?」と言ったのである。
うちは中国に行ったことはないが、おじさんが全世界をほとんど周って、その感想は中国が一番だと言っているわけだし「今度、行ってみよう!」と思ったのである。

途中から先生と金子(女)さんがやってきた。

色々世間話をしていると、ノビさんは「ヨシ」とした顔で、なにかを出してきた。
なんだろうと思ってみていると、なにかの葉っぱである。
それをつぶして、ペットポトルに入れたのである。
「まさか…」と思うと、そのペットボトルに火をつけて吸い込んだのである。
やはり「麻薬」だった。
おいおい…久美子ハウスでは麻薬持込禁止のはずだろう…(汗)
もっちはそれを知って、この場を離れて別の席に座り込んだ。
そして、次の人に回して、おじさんは慣れた顔でそれを吸い込む。
次が先生だった。
先生はびっくりした顔で焦っていると、皆から吸ってみぃと言われたみたいで、先生も挑戦。
「ゴホゴホッ」と咳き込んで、それ以上はやめた。
次が俺の番だったが、「いや結構っす」とことわった。
といっても、義償さんが吐いた煙をそのまま吸い込んでみたのだ。
たしかにきついにおいがして、少々めまいがした。
皆は当たり前のように吸っているのだ。
俺はその場面を見てすっげえなと思った。
しかし、問題は先生だ。
初めてなら、その後大丈夫か?暴れたりしないか?と心配だった。
もっちが「下に行きたい」と言うので、俺は皆に「そろそろ眠りますので、おやすみなさい」と挨拶をして、自分の部屋に戻った。

そして、もっちが持ってきた将棋をやることにする。
将棋は久しぶりだった。
妹と軽く勝負した程度である。
しかし、もっちの頭脳明晰で見事敗北。
もっちは裏の裏を考えていたので強すぎた。
王手になると「ありがとうございます。ありがとうございます」と何度も深くおじきをするのだ。
ちょっとむかついた(笑)
2回戦やろう!と言うが、もっちは「疲れたからいいよ」と断れた。

明日は6時半前に起きて、義償さんと朝日と絵を描きにいく約束がある。
少々早いが、9時ぐらい眠ることにする。
蚊取り線香をつけているので、煙が部屋中に充満していた。
おまけに寒いし、昨日は早く寝たのでなかなか寝尽くすことができなく、苦戦してようやく眠れたときは22時半近くだった。


4日目へ← →6日目へ

戻る
当サイトに掲載されている文章、写真等の無断転載・転用を禁止します。
inserted by FC2 system