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4日目
到着時刻は7時となっており、6時半に起床。
もっちも起きており、しばらくペットの上でぼーっとしていた。

もっちがトイレの帰りに、「日本人らしい女性がいたよ!」と教えてくれた。
早速ハオは、その日系人の女性に声をかけた。
「すいません…日本人でしょうか?」
「そうですよ!」と眼鏡をかけている女性は言う。
女性は全員3人もいて、すごく助かったハオは笑顔になる。
「良かった!私たちは聴覚障がい者なので、ムガール・サライ駅に着いたら教えてくれませんか?」とお願いしてみた。
すると、その女性は「いいですよー!」と承諾してくれた。
「助かった!」ともっちと俺は安心する。

その時、2段ペットを折って、1段ペットを椅子代わりに3人が座った。
前の席のインド人が「Japanese?」と声をかけた。
「Yes.」と言うと、なにかを話し掛けたが、話し合う気持ちはなかったので「Sorry.I am deaf.」と断りを入れた。

しばらく、その椅子から外を眺めていた。
外の景色はなにもない草原だった。

30分後、時計は7時15分を過ぎると、女性達が「ムガール.サライ駅に着いたよ」と教えてくれた。
電車は5分おきしか停車しないのですぐ出発してしまう。
慌てて荷物をかき寄せて列車から降りたため、防寒服を車内に置き忘れてきてしまった。
しかし、不満に思ったのはもっちだけが先に降りてしまったことだ。
「おいっ!もし、電車が動いたら俺だけを残すつもりなのか!?」と思った。

ようやく、バラナシに着いたのだ。
バラナシ駅はムガール・サライ駅まで近い。

しかし、もっちが一人のインド人男性と話し合っていた。
「なんだ?」と言うと、そのインド人男性はプラカードを持っていて、その名前を見ると、たしかに俺らの名前が書いてあった。
しかし、おかしいと思ったのは俺の名前だけ一文字違うのだ。
それに日本である本の中に「そのプラカードを持った人が来ても無視するように!名前が書かれてあるが、それはあくまでも列車予約確認のために書かれた名前をそのまま書き写しただけ」というのを思い出して、「No!!」と激しく拒否した。
焦ったそのインド人は、意味ない抵抗を繰り返しながらしつこく語りかけてくる。
そういやあ、ITDC会社は迎えはないと言っていたから、迎えはないのはたしかなはずだ。
それなら信用しない方がいいと思って、無視した。
「No!No!」と必死の抵抗で振り払いながら、進んでいるときに別の日系人の女性がインド人と話し合っていた。
「日本人…?」と立ち止まったハオともっちはその女性にじっと眺めていた。
その女性も我々の存在に気がついたらしく、先に声をかけられた。
「日本人?」と言うと「そうだよー!」と言ってきた。

偶然、3回目の日本人と会ったのだ。
安心した俺たちは「どこに行けばいいのか分からなくて焦っていたところだったよ。どこに行くの?うちらはバラナシ駅に行くよ」と言うと「あたしもだよー」と言ってくる。
その女性も、偽のプラカードをもったインド人と話し合っていたみたいだ。

そのときだ。

別の日系人の男性がやってきた。
「日本人?」と聞くと「そうだけど…」と言ってきた。
その男性はインド用太鼓を持っていて、バックパッカーらしい服装をしている。
なにか先輩風なので、信頼感がありそうだったので、その男性についていった。
「インドに行くのは何回もあるのですか?」と聞くと「いんや、初めて」と言う。
なんだ・・・
五分五分な気持ちになって、「じゃあ、オートリキシャから行くつもりですが、どうします?」と聞くと、その男性は「バスで行った方が安いよ」と教えてくれた。
バスかあ!考えていなかった俺はその案に賛同した。

その時、女性が自己紹介してきた。
男性と女性は偶然に名前が金子と同じだった。
埼玉出身。
女性の方はフリーターで一人旅しながらインドに来たらしい。
インド到着日はうちらと同じだと言う。

男性の方は26歳で、大学を卒業して、インドを渡ったと言う。
帰国後、再び大学に入りなおして、教師を目指す目標をもっている。
同じ名前なので、男性を教師を目指しているから、先生。女性は金子(女)さんとして名前を分けてもらいます。

しつこい客引きを必死に断りながら、バス停を探した。
警察に聞いてみたところ、ようやく分かり、そのバス停で待つとどのバスなのかも分からず、大勢の客引きインド人に囲まれながら「どのバスに乗ろうか!?」と焦った。
バスらしいのが止まり、バス係員が大声でこっちに叫んでいる。
俺はバスの係員に「Varanasi?」と聞いてみると「Yes!」と返って来た。
俺は「このバスだよ!」と言っても、不安な先生は乗ろうとしなかった。
「おいおい!」と思っていると、そのバスは去ってしまった。
「このバスに乗ればよかったじゃないか!」と責めると、焦った先生は「待って待って!」と言う。
金子(女)さんは笑っていた。
すると、別のバスがきたので、俺は「Varanasi?」と聞いてみる、このバスも「Yes!」と言ってきた。
「このバスだよー!!早く乗ろうぜ」と引っ張ろうとすると、「本当にバラナシ?」と用心深い先生は乗ろうとしない。
そして、先生はそのバス係員に聞いてみる。
本当だったらしいので、皆でそのバスに乗る。
一安心である…。

街中を抜けると、ガンガーにかかる橋に差し掛かった。
ガンガーは、見た感じでは約1km。
遠方まで霞まくっている。
郊外に出ると、道路事情は良くなってきたがトラックやクルマの交通量が増加した。
ひっきりなしに、けたたましくクラクションを鳴らされ、多くの車が追い抜かしていく。
追い越される際にまき散らされる排気ガスや砂ボコリがひどい。
バラナシ駅まではかなり長い渋滞あった。
突然、対向車が現れたりした時などは、口から心臓が飛び出しそうだった。

1時間ぐらいで、バラナシ駅の前に降車した。
バラナシ駅で写真を撮ろうと思って、そこまで歩いた。


オートリキシャの客引きが本当にうるさかった。
しかし、なにより困ったのは、金子(女)さんが先生が持ってきたインド用太鼓を叩きまくっているのである。
当然、注目の嵐である。
これじゃあまるで「私たちは日本人です!さあ、注目!!」というのに代わりない。
「ここではやめてくださいよ…」とお願いしても、無視して太鼓を叩きまくる金子(女)さん。


バラナシ駅の前で写真を撮ってもらって、先生は「これからどうする?」と言ってきた。
予約したホテルがあることを伝えて、「君達はどうするの?」と聞くと、「一応久美子ハウスと決まっているんだよなぁ」と言う。
「久美子ハウス!?俺たちも明日から泊まるところなんですよ!」と言うと、お互い喜んだ。
そして、「申し訳ないが、久美子ハウスで俺たちの分、予約してくれないかなあ?」とお願いしてみた。
先生たちはOKと言ってくれた。
すると先生は「昼飯食べませんか?お互い宿で荷物をおろして、バラナシ駅で待ち合わせしない?」と言ってきて、その約束を交わした。

現在、時刻は9時半前後である。
うちは用心に「最低でも12時まで待つことにしよう」と言った。
「OK!」とお互い別々別れることにする。

もっちは「ここから、リキシャで行こうよ」と言うが、金欠である俺は「ここから歩こうよ。歩いても近い距離だしね」と言った。
バラナシ駅を渡って、金持ちが集まる街々を歩いたが、途中で道が分からなくなり、何度も人に聞くはめになった。
もっちは重装備だったので、疲労は限界に達し何度も「ゆっくり歩いてくれ」とお願いする。



10時半ぐらいにようやく宿に到着。
大体、駅からMMコンチネンタルホテルまでは30分近くかかることが分かった。
ホテルはまあまあだった。
手続きを済ませると、部屋まで案内してもらった。
今度はチップを払わされると困るので、もっちは荷物を「自分でもつ!」と言ったのである(笑)

部屋の中はアーグラよりも劣るが、かなり広めだった。
シャワーもあり、お湯も出る。
荷物をおろして、ゆったりとくつろいだ。

「どうぜ12時まで待ち合わせするんだから、11時半ぐらいには着けばいいしね。11時まで休憩しよう。」ということで、ゆっくり休憩した。

ミネラルウォーターも購入して、ペットボトルに補充する。

そして、11時ホテルを出て、バラナシ駅には11時半には到着。
待ち合わせ場所に行くが、2人組は来ていなかった。
「まだ来ていないのかなあ?」と陽射しの強い真上で待ち続ける。
12時になっても、2人組は現れなかった。
「どこかで事故ったのかな?それとも久美子ハウスが見つからないのかな?」と心配したが、約束時間を過ぎたので、仕方なく諦めて2人で食事をすることに決定した。


近くの商店街で色々売っているものを見る。
もっちが欲しがっていたメモ用のノートを購入して、途中、果物屋にリンゴ5Rsでそれぞれ買う。
これが昼飯である。

少しは俺たちの空腹を満たしてくれたので、次はどうしようか…と考えていたときに「ガンガー河に行かないか?」という案が浮かんだ。

ここから、リキシャと激しい交渉に出たのである。
リキシャは当然「50Rs!!」と高く言ってくる。
俺は「No!!10Rs!!」と言ったが、どこも断れた。
これでも負けず、周ったが近くのバイクからやってきたインド人が"普通は20Rsが妥当だよ"と教えてくれた。
念のため「Really?」と聞くが、頷いたので信じることにした。
早速「20Rs Okey?」と言うと、一人だけ「Ok!」と見つかった。
(リキシャは:三輪の自転車。インドで最も安い交通手段。ベトナムでは「シクロ」と呼ばれている。シクロは運転手が後ろで自転車を運転するが、リキシャは運転手が前で自転車を運転する。この「リキシャ」という名前、実は日本語だということをご存知だろうか?辞書を引いてみると言葉の起源が[Japanese]と書いてある。今はもうほとんど見ることはなくなった力車(人力車)が言葉の起源だ。日本語ではもう使われていない言葉がインドで毎日使われている。ちょっと不思議な気分になる。)

リキシャの運転手は50代後半の老人だった。
本当に20Rsで大丈夫だろうか?と不安になり、念のため「Total 20 Rs Okey?」とノートに書いた。
「Ok!」と言っていたので、乗ることにする。

もっちが「なんか大変そうだね。あとでチップあげようかな?」と言っていたので、俺は「必要ないよ。これが彼らの仕事だもの。彼はそうしないと1Rsも入ってこないんだよ」と説明して納得させた。

すごい渋滞だった。
あちこちリキシャ、オートリキシャ、バイク、自転車が割り込んでくる。
そしてたまに牛も見かける。
バラナシは騒々しい所だった。
運転手は、一段と混沌としてきた街中を無言のままブッ飛ばす。
道路事情もすこぶる悪い。
路上には無数のでこぼこが存在し、車体を揺さぶるのである。
時折、他の自転車やリキシャーに割り込まれると、無言で運転手を睨みつけ、ガンを飛ばしているのだ。
なかなか強気なじーさんである(笑)


30分ぐらいしたときに、ガンガー河まで徒歩5分ぐらいの場所で降りた。
20Rsを払い、ガンガー河の近くで一番大きいバザールを渡って、まっすぐ進んだ。

ここは凄かった。
巡礼者、物乞い、聖者、子供たち、うろつく牛、屋根を渡る猿がいた。
そして食べ物や排泄物の臭いがあちこちでするのだ。
そして、日本人、韓国人、白人も多く見かけた。


アイスクリームを売っていたので、試しに買ってみる。
試食すると、変な味がする。
もっちはまずいと言っていたが、俺はうまかった。

5分もしない内に、ガンガー河が見えてきた。
「これがガンガー河…」と感無量のハオでした。
ガンガー河はとても大きかった。
日本では多摩川とそんなに変わらないのだが、ガンガー河だけは神秘的で雰囲気が違うのだ。
旅人の疲れを癒してくれるような180度見渡せる壮大さ。
しばらくその川を眺めていた。





そして、「久美子ハウスに行こう!あの2人組がちゃんと予約しているかどうかも知りたいしね」という話になった。
久美子ハウスはガンガー河を右側に渡っていけば、すぐ見えるとガイドブックに書いてあった。
階段の多い道で、複雑だったが、難なく渡っていけた。
なかなか見つからないので、不安になったもっちは「本当にあるの?」と言うが、俺は「大丈夫!大丈夫!」と自信をもって歩く。
バラナシは初めてだが、「先に久美子ハウスがある」と自分自身そういう気がしたからだ。
徒歩10分ぐらいに「久美子の家」と書かれてある宿を発見する。
(久美子ハウス:インドを陸路で旅する人たちで、久美子ハウスを知らない人はいない。久美子ハウスは、インド人芸術家シャンティさんと結婚した日本人女性久美子さんが夫婦で経営する安宿で、インドはヒンドゥー教の聖地バラナシのガンジス河のほとりにある。)



玄関前で、「すいませ〜ん。」と日本語で声を上げた。
無反応である。
もう一度大きな声で「すいません〜!」と言うと、奥から「はぁーい!」と聞こえた。
太った体を揺らしながら、ゆっくりと女性が出てきた。
ハオともっちは久美子さんの顔写真を日本のネットで見たことがあるので、思わず興奮して「久美子さんだーー!!」と大声であげてしまった。
漫画とか本で見た久美子さんが今、目の前にいる。
その喜んだ声を聞いた久美子さんは笑顔になり、「どうぞ」と迎えてくれた。

「お邪魔しますー」と中に入ると、中は殺風景であちこち物がおいである。
安宿という雰囲気が漂っていた。

そして俺は「久美子さんってさいとう夫婦先生を知っていますか?私はその漫画を読んで、久美子さんの存在を知ったんですよ。その漫画を知っているかな?」と言うと、「知っているよー」と言うので「イメージ通りだなあ。さいとう夫婦先生の漫画では、宿泊希望の旅行者を玄関の前で睨みつけながら相手をチェックすると書いてあったので、かなり緊張したんっすよ」と言うと久美子さんは大声で笑った。
ほとんどさいとう夫婦先生の話題で盛り上がった。

そして、「日本で何度も宿泊予約をE-mailで連絡しのに、返事が来ないから心配したんですよ。」と言うと、久美子さんは「ごめんごめん!今、パソコンが壊れているんだあ」と説明してくれた。
そして、「朝、ここに男性と女性の日本人が来ませんでしたか?その人に予約を依頼したのですが…」と言うと、久美子さんは「えーっと、来ていないねえ」と言う。

どういうことなんだ?
なにがあったのだろうか?
不安になった。

仕方ないから、「あのー、明日ここに泊まる予定ですが、部屋は空いているのでしょうか?」と聞いてみたところ、「丁度昨日、日本人2人が去ったので、ダブルルームは空いているよ!」ということだった。
なんと運が良かったのである。

「いくらでしょうか?」と聞いてみると、「ダブルルームが2人で一泊120Rs。ドミトリーだと30Rs(あまり覚えていない)だよー」と言っていたので、2人揃って「安い!」と声をあげた。
一人60Rsだと、150円ぐらいで泊まれるのである。
「じゃあ、お願いします」と予約しようとすると、「前払いで、1日分払ってくれれば予約しますよー」と言っていたので、先に150Rs払った。

そして、「俺たちは聴覚障がい者なので、よろしくお願いします」と言うと、久美子さんは驚いた顔をしていた。
「どうしたんですか?」と言うと、「今、上で聞こえない人が泊まっているんだよー」と言ったので、驚いた。
早速、「お会いできるでしょうか?」とお願いしてみると、「どうぞどうぞ」と部屋まで案内してくれた。

その部屋は2階にあって、奥のダブルルームだった。
とても広い部屋に一人の男性が絵を描いていたのである。
久美子さんが「その人達も聞こえない人だよー」と言うと、歓迎して手話で色々話をしてくれた。

その人は金子 義償さんと言う。(又、金子さんかいな!笑)
60代で、秋田出身である。
しかも驚いたのは、その人は絵を描いて生活をしているのだ。
「バラナシは絵になることが沢山ある。毎日色んな変化が楽しめるから、絵も違う形で描けるんだ」と言っていた。
去年の11月日本を出て、ずっとかどうか分からないが、久美子ハウスで長く泊り込んでいるみたいだった。

もっちは手話はできるが、覚えたばかりなので少々分からないことがあると聞き返したりする。

「金子 義償」という名前は初めて聞いたが、日本に帰国してからインターネットで検索してみると、色んな作品が入選したらしいので、かなり著名であることに驚いた。

楽しい会話が弾んだところ、「昼飯はまだかい?お腹は大丈夫?(インド料理を食べても壊さないかい?)」と聞かれた。
俺は「大丈夫ですよ!」と言ったが、もっちが不安そうだったので義償さんは「大丈夫だよ。ここの近くに日本料理店があるんだ。安いし、日本人がよく集まるところなんだ。案内するよ」と言っていたので、お願いしてみた。

久美子ハウスを出て、迷路みたいな通路を渡るとすぐそこにレストランがあった。

早速メニューを見てみると、普通のインド料理が書いてあった。
そこに日本メニューもあって、「Okonomiyaki」とか「Tamagoton」とか「Osiya」などユニークなメニューもあった。
お金は大丈夫か…と心配そうに値段を見ると、一番安いのがインドの炒飯みたいなものが15Rsだった。
これなら食べられる!と思って、安心してその料理とコーラを注文した。
義償さんは初めてだったらしく試しに「Oyakodon」を注文した。
もっちはビザを注文。

15分ぐらい、料理が届いた。
驚いたのは、15Rsの炒飯みたいなものがなんとボリュームでかいのだ。
それなら俺の腹を全て満たすくらいの量であった。
食べてみると、食べやすくかなりおいしかった。

次に義償さんが注文した親子丼が届いた。
そのとき、3人は笑った。
親子丼というよりも、形はめちゃくちゃで鶏肉と卵は入っているのだが、ぐちゃぐちゃしたものだった。
義償さんが「食べる?」と俺にすすめたので、俺は挑戦のつもりで食べてみた。
すると、かなりおいしかったのだ。
日本の親子丼の味は遠いが、きちんとしたインド料理としておいしかった。
「うまいよ!」と言うと、続いて義償さん、もっちも食べ始めた。

もっちのビザは時間がかかったが、試食してみると、これもうまかった。

安くて、うまくて、従業員は親切で俺はこの店を気に入った。

食後、義償さんが「ここの近くに火葬場があるんだが、見に行くか?」と言う。
バラナシの火葬場はとても有名だ。
バラナシはインドの人々が、死ぬために集まる場所とも言われている。
インドの人々はバラナシで焼かれることが本望であることで、少々信じ難いが事実である。

もっちは「今日は見たくない」と言っていたが、義償さんが「近くを通るだけだ。通ったら帰ればいいし」と言う。
迷路みたいな通路を歩いていると、その時だ。

後ろのインド人から声をかけられた気がした。
いつもの客引きだと思って無視していたが、もっちがその声に反応して俺のところに振り向くと、「危ない!」と声を出した。
なんだ!?と後ろを向くと…
1匹の牛が俺に目掛けて突進してくるのだ。
「うぉっ!」とすばやく身を交わして、牛の突進を避けた。
本当にギリギリセーフだった。
すると、牛は再び俺のところに向きを変えて、突進しはじめた。
10代ぐらいのインド人と一緒に、建物の中に逃げ込んだ。
牛はどこかに去ったが、そばの10代のインド人ははぁはぁ…と胸に手を押し当てながら息をしている。
俺も激しい息をしていたが、その場面を見て「うひゃひゃひゃひゃひゃ!!」思わず笑ってしまった。
その10代のインド人の肩に手を置いて「面白かったなあ」と言って、もっちのところに戻った。

しばらく歩くと、マニカルニカー・ガートと呼ばれるガートがあった。
このガートは火葬場になっている。
興味があり近づくと、布にくるまれた何体もの遺体が焚き木で燃やされる光景が目に飛び込んでくる。
壮絶な光景と言えば壮絶な光景である。
しかし、うちの眼鏡はワザと弱くしているので、遠いところはあまり見えない。
なので、この火葬場はあまり見えなかった。
義償さんが、「反対側の火葬場は大きいし、沢山人が集まっているよ。明日見に行ったらどうだ?」と言う。


30分ぐらい眺めて、再び久美子ハウスに戻る。
ここで、義償さんとお別れである。
義償さんはこれから久美子ハウスで泊まっているイタリア女性ロリーラさんと用事があるので、俺たちはホテルに戻ることにした。

時計の針も16時近くを指している。
バザールを歩く途中、果物屋台があったので、俺はバナナを購入する。
最初は20Rsだったが、15Rsまでまけてくれた。
本当に節約地獄が開始されるので、毎日バナナだろうなあと覚悟をした。
もっちはブドウを買おうとしたが、ハエが多くたかっていたので、他の店を探す。
すると、一つの果物屋台にハエが漂っていないところを見つけたので、もっちはそこで買おうとする。
しかし、それは影のせいでハエが見えなかっただけである。
よーく近づくとハエが無数果物に止まっていたり、飛んでいたりした。
ここまで来たら断りきれないもっちは仕方なく買うことにする(笑)

お互いの晩飯が決定したときに、リキシャの集まっている場所に向かう。
"MMコンチネンタルホテルまで2人で20Rs!!"と交渉したが、リキシャは誰も断る。
ホテルまで遠いらしいので、リキシャは面倒くさいみたいだ。
そこでオートリキシャが"70Rs!!"と寄ってくるが、俺は"No!!20Rs"と交渉した。
しかし、どの人も"馬鹿にすんな"という顔をして去っていく。
どうやら20Rsは安すぎたということに気がついて、ガイドブックを見てみると、オートリキシャの場合は50Rsが妥当らしい。
少々高くて不満だったが、(所持金もわすが)ホテルまで遠いし、そろそろ太陽が沈む。
仕方なく、オートリキシャに頼むことにした。
最初は70Rsと言っていたが、ことわって"50Rsだ!それ以上は払わんぞ!"という態度を示すと、一人の青年が「Ok!」とオートリキシャを持ってきて、それに乗った。

20分ぐらい、ホテルに到着した。
50Rsを払い、「Thank you!」とお礼を言うと、その運転手は「No.60Rs」と言う。
はあっ?「ほれほれ!見ろよ!あんたが50Rsでいいと頷いたじゃねえか!その証拠にノートに書いてあるだろ」と強気に言っても、「No,60Rs」と主導権を譲らなかった。
その態度に頭にきたが、もっちも俺もそのがめつさに呆れて「10Rsぐらいはどうでもいいか…」と仕方なく払った。
その代わり、その運転手の顔を見ないでそのまま無視するよう去った。

17時近くようやく部屋の中でのんびりすることができた。
そのとき、部屋の中で蚊が入ってきたので、全部窓をしめて蚊取り線香を使った。
そしてしばらく蚊と奮闘中。
俺は1匹。
もっちは3匹退治した。

バナナを食べながら、過ごしていたとき時計の針が18時を過ぎた。
「そろそろダイゴさん達が来るかなあ」と思って、ロビーで待つことにする。
待っても来ないので、俺はロビーの人に「Sorry.My friend. Japanese?His name is Daigo.」と片言の英語で言うと、相手は通じて"待ってくれ"と名簿を出して、調べてくれた。
ダイゴさんの名前がないので、そのまま「No」と首を振る。
「そうかあ…また来ていないのかあ」と思って「Thank you!」とお礼を言う。
部屋に戻って、19時まで待ち、再びロビーに行くが同じ顔で「No」と言う。

どうしたのだ?
ダイゴさん達の身に何があったのか?
でも、考えられたことは列車が遅れたことだろう。

部屋に再び戻り、ペットで横になった。
本当になにもすることがないので、俺はもっちに「先に寝るわ」と19時半早く寝ることにする。

もっちはリキシャ、オートリキシャの移動中、でこぼこの道で股ずれが起きてしまい、痛がっていた。
疲労がどっとわき、19時半には深く眠りについてしまった。

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