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1日目

ハオにとって今回の一人旅はこれで2回目だった。
帰国してからすでに2日経っており、今回のフィリピン旅行を振り返ってみると「色々あったなぁ」と感じる

今回の旅は、まさに一歩間違えれば命を落としかねない可能性があった。

そんな危険な大冒険から無事帰国できて、俺は「今回の旅はこれからの旅のスタートラインだ。」と思うようになった。


今回は全部一人で行動して旅しようと決めていたのですが、現地で予定が大幅に狂い一人旅になるはずが、
フィリピン人や日本の友人(翔)と一緒に行動したりすることになってしまった。

旅行からの帰国後、「自分自身、かなり弱いヤツだな」と思い、色々な反省点が見つかる。

一人旅をしようと思ったことは事実だが、フィリピンの知人達から「マニラの治安は悪すぎるから危ない」と心配されるぐらいなので、3人のフィリピン知人の自宅にお世話になることになったのである。

俺は翔にこう言った。
「今回は失敗だったな。今度フィリピンに行くときはフィリピンの友人に内緒しておくべきだね。」
もう過ぎてしまったことは仕方ないが、次回の旅へ向けて大きな前進であった。

さて、旅行記の始まりです。


15時まで、俺は旅行姿のままで会社で仕事をする。

なぜ会社に行くんだ?と不思議に思う方もいると思いますが、飛行機の出発時刻が19時であったし、有給休暇が残り少ないため、フレックスを使うことにした。

17時15分までに空港の受け付けに行き、航空券を入手するのだが、成田エクスプレスに乗って空港に着いたのが、なんと17時。

友人H氏から「成田エクスプレスに乗らないと間に合わないよ!」という発言を聞かなければ、やばかったかもしれない。

もし普通に行っていれば完璧遅刻だっただろう。
今回は本当にセーフだった・・・と冷や汗をかいたハオであった。

そして、お世話になるフィリピン人へのお土産を購入し、電池が切れた腕時計の電池換えを行わなければならない。
時間がないので、迅速に行動へ移らなければならなかった。
まず電池換えだが、私の腕時計は防水だったため、電池換えはかなり専門的な店でないと出来ないと断られた。
仕方ないので、腕時計を購入することにする。
4300円のする防水デジタル時計である。

次に、1日目はジョンの家に泊まることになっていたので、お世話になるご挨拶として、日本名物ヨウカンと煎餅を購入。

この時点でもうかなりギリギリだった。
準備万端で、入り口ゲートに行く。

すると、空港の係員に止められた。

「この航空券は使えません」

はっ?

意味が分かりません。
使えないということは、向こうの間違いだっただろうか?

仕方ないので、航空券をもらった所まで戻って、受け付けの人に聞いてみる。

謎は解けた。

空港受付でもらった券は航空券ではなく仮航空券みたいなもので、
これからノースウェスト窓口に行きそこで航空券をもらうということになっていた。
時間がなかったので、大急ぎでその窓口に向かって、航空券を入手し、入り口ゲートでようやく入ることが出来た。


全てギリギリの状態で、航空機に乗ることができた。

隣に外国人っぽい男の人が座っていたので俺は筆談(英語)で聞く。

「Are you Japanese?」

すると、達筆な英語で
「No.Philippines」と書いてきた。

これは困った!
聴覚障がい者である俺には困った。
アナウンスとか聞こえない俺には、隣に日本人がいるだけでもありがたかった。
(1回目、2回目の旅行は隣に日本人だったので困らなかった。)

仕方ない。

その隣のフィリピン人に
「Can you speak Japanese?」
と書いたが
「○×βρ※Ψ」
あまりにも達筆すぎる英文(流暢な筆記体)は俺には読めなかった。

「あはは」と無理して作った笑顔で、話を終わらせてしまった。

英語の映画、英語のアナウンス、英語で話し掛けてくるスチュワーデスなどで俺の頭の中では混乱してきた。
「これから異国に行くんだ!日本の文化を捨てろ!」と自分の中でそう思いこませた。

途中で、入国手続きみたいな紙を渡されて、書かないといけなかった。
これはとても困った。

全部英語で、全然読めない。
慌てて辞書を引いても、解読不可の言語も出ていたので、翻訳できない。

普段ならガイドブックに書かれてあるが、このガイドブックは友人に貸したままなので、なにも分からない。
焦った俺は、周囲を振り向くが、どの人も日本人らしきの人がいなかった。

最後の手段に出た俺は、スチューワデスに「Please help.」と助けを求めた。
しかし、全員が日本語を話せなかったので、困っていたときに別のスチューワデスが英語で話しかけられた。

なにを言っているのか分からなかったので、
「ア・・アイ アム デフ.」
耳が聞こえないことを伝えると、「OK」とその紙に書いてくれた。
非常に助かった。

ありがとう!スチューワデスさんよ!!

途中、機内食が出たんだが、この機内食はとてもまずかった。


その航空機はとても寒かった。
俺は毛布を体に包んで熟睡していた。

22時半ぐらい。

消灯していた電灯がONになった。

着いたのか?

俺は窓を眺める。
「おおっ!」

町の街灯が見えてきたのである。
それが段々大きくなってきて、エメラルドのような輝きで俺らを迎えてくれたのであった。

「3回目のフィリピンに着いたんだ!」
と俺はうれしくてたまらなかった。

22時半、無事にフィリピンの地へ着陸。(日本の時刻では23時半)
入国スタンプを貰って、入国することに成功。

さて、あとはジョンと友人の翔と待ち合わせということになっているんだが・・・

2回目のフィリピン旅行の時に待ち合わせした場所へ向かった。
だが、ジョンと翔はいなかった。

「少し遅くなったから、どこかでお茶でもしているのかな?」と思った俺は待つことにした。

待ってる間、周囲のフィリピン人が俺になにかを話し掛けてくる。
「No!」と言いながら追い払ったのだが、あまりにもしつこいので
「friend waiting!!(友達を待っている)」で相手を納得させた。

30分待っても来ない。

段々、不安になってきた俺には警備員に
「Now car Traffic congestion?(今、渋滞ですか?)」
と適当な英語を辞書から調べて問い掛けてみた。

警備員は分かったらしく他の警備員に問い合わせしてくれたが、「No」と返ってきた。

どういうことなんだ?
待ち合わせ場所を間違えたのか?

不安になった俺に、心配になった警備員が向こうで別の待ち合わせ場所があるよ
というような身振りで教えてくれ、そこまで案内してもらった。

「トモダチ マチアワセ?」
となまりのあるような日本語で警備員が話し掛けてきた。

「日本語話せるんですか?」
とうれしそうに聞くと
「スコシ ネ」と照れたように言う。

その待ち合せ場所まで案内してもらったが、どこにも友人の姿が見えない。

どういうことなんだ・・・?

「NoNo!」と警備員にいないということを首を振って伝えようとすると
警備員は別の係員に話し掛け、その係員が俺を呼んだ。

「どうかしましたか?」

ん?日本語?俺の聞き間違いだろうか?
「Can you speak Japanese?」と念のために聞いてみる。
するとその人は笑ったように「私、日本人ですよ」

それは助かった!

不安な気持ちが少し消えた。

今までの事情を説明すると、最初に言われたことは
「その友人の住所先、電話番号を知っていたら教えてください」

俺は困った。
住所先、電話番号なんか聞いていないのだ。
いや、聞いたんだが向こうが忙しくて返事が無いまま出発日を向かえてしまったと言い直した方が正しいだろう。

「知らない?それは困りましたな」
と日本係員は曇った顔で言う。

幸い、携帯電話にジョンの連絡先(E-mail)を登録していたことを思い出したが、そのアドレスを相手に教えても意味がない。

なぜなら今からメールしても、そのアドレスはジョンの大学にあるパソコンだからだ。(ジョンは大学の教師をやっている)

「別に、その警備員の自宅で泊まってもいいですよ」

はっ?

その警備員は日本語が話せた人である。

だが、

「ビール ノミマセンカ?」と照れたそうに言う。
「い・・・いや・・、ノー!」と困ったような顔をして、ことわっても
「コーヒー ハ ドウ?」と相手はしつこく聞いてくる。
自分の身の危険を知った俺は激しく断る。
残念そうな顔で去る警備員。
やはりゲイだったか・・。

その日本係員も疑わしく見えてきた。

他に方法がない・・・!!
ひたすら待つしかないと自分でそう思い込んで、先ほどの出口ゲートに戻って待ち続けた。

30分過ぎても、来ない。
周囲のフィリピン人が心配そうに俺のところに尋ねてくるが
全員「グッドラック」のような顔で去っていく。

なぜ来ないのか?

事故なのか?

事件があったのか?

到着場所を間違えているのか?

1時間以上待ち続け、しかも空港時間は0時までである。
仕方ないので、あることを思いついた俺は、さっきの日本係員の所に戻って、こう聞いてみる。
「安くてインターネットが使えるホテルはありませんか?」
待っていましたというような顔で、ホテルのカタログで調べ始めた。

大丈夫かよ・・・

このまま本当に一人旅になってしまうのか・・・

ジョンは一体どこに行ったんだろう・・・

と周囲を振り回すと、一人の男が近づいてくるのに気がつく。

よく見ると翔であった。
その後ろにジョンもいた。

「いたーーーー!!」
とうれしそうに声をあげた。

「どこにいたんだよ!?」
とちょっと怒った声で言うと
「空港内の待ち合せ場所が変わったんだよ」
と翔が当たり前のように言う。

「そんなこと言われても、俺はなにも聞いていないぞ」
と言うが、
「まっそんなことより、ジョンも心配していたぞ」

ああ、ジョンを忘れていた(笑)

「Long time no see.(お久しぶりです)」
と挨拶する。

ジョンもうれしそうに俺の顔を見て
髪が伸びたね。又は変わったねみたいなことを言っていた。

怪しげな日本係員に見つかりました。ありがとうございます。と
お礼の言葉を言って、このあとどうする?と言うと
「ジョンの家族が自動車で迎えに来るってさ」と翔が言う。

5分後、その車が来る。
ジョンの母と父がいた。
「Nice to meet you.」
と挨拶を交わし、「You are beautiful.(あなたは美しい)」
というようなお世辞で母上を喜ばせた(笑)

マニラ空港を出て、近くの中華店で食事をすることに。
俺はしばらく緊迫の嵐、他国の地に着いたばかりで食欲はなかった。

フィリピンは変わっていたので驚いた。
2回目の時は、不法住民の自宅が目立って、すごい貧乏なイメージが強かったのに、
3回目は完璧、東京並になっている。(道路が広くなったり、不法住民が追放されたり)

食後、ジョンの家に向かった。
ジョンの家までは1時間近くでちょっと遠かった。

しかし、驚いたのは、ジョンの家は金持ちであったことだ。

フィリピンは昔、日本の侍時代と同じく地位が激しい国に似ている。
つまり、金持ち、普通、貧乏という見方が分かれているのである。

豪華な自宅に到着したのは日本時刻で3時前後であった。
眠くなった俺には床につく。

明日からどこに行くのかということも、今はなにも考えていない。
ただ、今はフィリピンに着いた。
それだけで満足だ。
あとはどうにかなるだろう・・・と思って睡眠に走るハオであった。

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