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1日目
迫る3月21日という日程・・・ハオにとって2回目のフィリピン旅行である。

その前に、3月19日は訓練校の友人と卒業旅行で、熱海から大島へ。
そして、次の日大島から東京まで帰り、そのままドラちゃんの家に泊まる。
つまり、家族とは18日が見納めとなったのである。
(※大島に行く前に、友人2人で先に熱海で一泊した。)

ドラちゃんの自宅から成田空港まで近いので、楽であった。

次の日・・・
いよいよ、2回目のフィリピン旅行に行く日を迎えた。

飛行機の出発時間は15時半であり、13時前までは空港の受付に行かないといけなかったが、

ドラちゃんは自動車で行くから大丈夫だと余裕かます。
ドラちゃんの家を12時半ぐらいに出る。

自動車は成田空港まで高速道路で向かう。
このまま間に合いそうなスピードを出していたが、トラブルが起きる。
渋滞・道に迷うなどのハプニングに追われ、13時に着くはずが14時半になってしまう。

翔は先に空港に着いていてイライラしていた。

成田空港に着いても1週間ぐらい自動車を預けてもらう場所を探さなければならなかった。

ようやく見つけ、急いで空港に向かう。
ギリギリセーフで空港の受付から航空券をもらった。
翔と10分しか話していないうちに、急いで航空機に入らなければならなかった。

翔とは向こうで22時半ぐらいに会うことになっている。
「向こうで会おう」と言葉を言い残して、航空機に入る。

今回はエジプト空港の便であって安い値段で済ませられた。
1週間で往復4万円ぐらいである。

ハオにとって久しぶりに海外旅行である。

日本の地が小さく見えてくる。
エジプト航空機は、エンジンが2つしか付いていないので、ドラちゃんは怯えていた(笑)
(※普通はエンジン4つついているらしいです)

17時前後、機内食が出た。
これがエジプト料理なのか!?と思うようなものが沢山出されていた。
試食してみると、俺に合わない物もあったがどれもうまかった。
特に果物は甘くてうまい。

途中で、ドラちゃんが「ASL(英語手話)を覚えなくていいのか?」と俺に問い掛けた。
俺は、「別に覚えなくても、筆談や身振りで通じればいい」と言ったが、
「じゃあ、紙がないときはどうするんだ?」というドラちゃんの一言でASLの指文字だけ覚えればいいやという気持ちに切り替わった。
必死に「A,B,C,D,E,F…」と英語指文字を覚えるハオであった。
しかし、自分自身でも驚くぐらい最短時間20分ぐらいで大抵マスターしてしまった。

そして、19時半ぐらいにフィリピンのマニラに着いた。
セブ島で見た通り、相変わらず空から見た街の景色は言葉を失うぐらい綺麗である。
「フィリピンに再び来たんだあ!」と、ハオは心から喜んでいた。

飛行機着地の衝撃と無事にフィリピン到着。

フィリピンに降りる人たちがそれぞれ降りる準備を始めている。
マニラはセブ島と違って、かなり大きい空港であった。

それぞれ入国手続きを済ませ、荷物を受け取った後、
ドラちゃんが「ここの近くにフィリピン人が迎えに来るはずだ・・プラカードを持っているのですぐ分かるはず…」と辺りを見回った。

そのときだった。

一人の男性が近寄って、ドラちゃんにASLで話し掛けた。

「Do you deaf?」と言っていたことが分かった。
彼は若い。
見た感じでは25歳ぐらいだろう。

「Yes!」とASLでドラちゃんが返すと、「Come on!」と手招きをして、もう一人の男性のところに連れてかれた。
その男性はかなり老けている。
50代ぐらいだろう。
そのおじさんがプラカードを持っていた。

若い男性はそれを指して、親指を立てながら「Okey?」と確認してくる。
そのおじさんが持っているプラカードを見ると大きな文字で
「Dorachan Hao Shoy」と書かれてあった。

自分だと確認した我々は「It's me!」と自分のことを指すと、2人のフィリピン人は安心した顔をした。

そして、ドラちゃんが得意のASLでペラペラと話し始めた。
ASLを完璧にマスターしていない俺はこの様子を眺めているしかなかった。

ドラちゃんがこっちを見ると、「この2人は…」と紹介してくれた。

20代の若い青年は”フレディ”と言う。
大学のパソコンの教師をやっている人だった。
そして50代のおじさんは、マリアの父親であったことが分かった。

早速、自分自身をASLで自己紹介した。
高校の時に習った自己紹介のASLだ。
相手に通じて、「Nice to meet you!」と握手してくれた。

フレディは”翔はどうしたんだい?”らしきことを話していて、ドラちゃんが遅れて来るということを説明した。
フレディは”その間に近くの店で待機しよう”と言って、近くの店まで行くことにした。

その前に、ハオは近くの両替場で円をペソに両替する。

空港を出ると、むわっとした湿った熱帯林の気温が襲ってくる。
ハオは「セブ島以来だなあ」と懐かしく思った。

その店は空港の2階にあって、ちょっと歩かなければならなかった。

途中、警備員がいてハオと目が合うとなぜかウインクされた。
ホモの警備員だと分かって、苦笑いするしかなかった。

その店の前まで行くと、入り口側に警備員から色々リュックの中を調べさせられた。
やはり、去年の12月30日に連続爆弾テロがあったので、あちこち警備が厳しくなっているのだ。

荷物調べが済むと、建物の中に入って小さなレストランに入った。
人は少なかったが、あちこちのフィリピン人が我々を見ている。

ハンバーガーとジュースを注文した後、ドラちゃんが「両替していないので貸してくれ!」と頼んできた。
その様子を察したフレディは”いいよいいよ奢りだよ”と言ってきた。
気前がいいのである。

しかし、俺は周囲の目の視線が痛かった。
妙にこちらをじっと見ているのである。
ドラちゃんに聞いてみると「手話を使うのが珍しいだけだろう」という答えが返ってきた。

しばらく後、ハンバーガーとジュース(コカ・コーラー)が運ばれてきた。
ハンバーガーは初めて食べるのである。(セブ島では食べなかった)
はさんでいるパンがとてもうまかった。
中の野菜と肉汁がさっぱりしている。
日本では滅多に食べられないものだった。

店員が近くを通ったので、俺は試しに「マサラップ!」と言ってみた。
マサラップというのはタガログ語で「おいしい」となる。
店員はしばらく驚いた顔をして、次第にうれしそうな顔に変わった。
急に”タガログ語話せるんだ!”のような言い方を早口で話し掛けてきた。
なにを言っているのか分からなかったが、その雰囲気でも充分伝わった。

そして、荷物からタガログ語辞書を取り出して、見せるとひどく興奮した店員は仲間達を呼んで、その本に夢中になって読んでいた。

その様子に驚いたドラちゃんは「なにをしたんだ?」と心配そうな顔で聞いてくる。
その時、マリアの父親がドラちゃんになにかを話し掛け、それを俺に通訳してもらうと、「我々ろう者は幼いときから英語だけ教わるので、タガログ語はろう者には分からないんだ」という内容だった。
平本は愕然とした。
フィリピンに行く前に一生懸命覚えたタガログ語は水の泡と化したのである・・・(汗)

その後、フレディが"君らの名前を英語手話で教えてくれ”と言われた。

日本の手話も使っている人もいるが、その人しか持っていない特徴をアピールする手話あだ名というのもある。
フレディは、親指と人指し指を合わせてお金というイメージをしたような形で腹に上下動かすのが「フレディ」という意味になる。
なぜその手話なのかの理由は忘れたが・・・

ドラちゃんは頬に凹んだ部分があるからその部分に人指し指と中指を合わせるのが「ドラちゃん」となるのを教えた。
俺も初耳だった(笑)

今度は俺の番である。
自分の存在をアピールする英語手話は考えたことなかったので、悩んでいると次のようなことを思いついた。

眼鏡のイメージでアピールした。
ていうが、これしかなかったのだ(笑)

時間はあっという間に22時半を過ぎた。

マリアの父親が"そろそろ迎えに行くよ”と腕に時計を指したようなジェスチャーで合図してくれ、全員で店を出ることにする。
フレディとマリアの父親と待ち合わせした場所に戻る。

俺とドラちゃんは冗談半分で隠れることにする。
幼稚だが、翔を脅かす作戦だ(笑)

入り口ゲートから翔が出てくる。

フレディが翔に声をかける。
警戒心深い翔は焦っているようだった。
そこで翔の背後から襲う作戦で、翔はビックリ。
大成功だった(笑)

俺とドラちゃんと会えたことに安心した翔はフレディとマリアの父親に紹介した。
翔は高校時代にタイでデフ交流したことがあるので、英語手話も少しはできる。
なんか面白くないと思う俺だった(笑)

翔の自分の名前の英語手話は、自分の名前をそのまんま表しているのでここでは公開しないことにします。悪しからず(笑)

翔が来たところで、マリアの自宅に行くことに決定する。
あとで聞いた話だが、宿泊部屋はマリアの部屋でクーラー付きだった。
すごくありがたかったが、問題はうちが泊まる部屋だけしかクーラーが付いていないことだった。
つまり、マリアと家族は別の部屋で寝るそうです。

それを聞いた俺は遠慮したが、「フィリピン人からの歓迎なので気持ちを受け止めよう。」
というドラちゃん発言により、ありがたくその気持ちを受け取ることにした。

空港にワゴン車が到着して、マリアの自宅まで送ってくれた。
セブ島と同様、異国だと感じてくれる周囲の景色になつかしいと思った。

20分後、マリア宅に到着した。
マリア宅は3メートルぐらいの高い壁に囲まれていて、泥棒よけのようだった。
チャイムを押すと、中の方からフラッシュした。
デフファミリー専用のチャイムだった。
(チャイムの音が聞こえないので、代わりにフラッシュを使う)

すると、中から50代のおばさんが迎えてくれた。
マリアの父親が"私の妻だ"と紹介してくれた。

室内に入ると、かなり広い。
一つ違和感を感じたのは、日本と違って靴をぬかないでそのまま入ることだった。

"座って"とフレディが指示して、全員近くにある椅子に座る。
そして、ドラちゃんと俺が日本で買った煎餅の土産を渡す。
"サンキュー"と大喜びのマリアの父親と母親。

奥からパーマ髪のした女性が出てきた。
「彼女がマリア?」と翔と顔を合わすが、2階の階段から一人の女性が降りてきた。
フレディが"彼女がマリアだよ"と紹介してくれた。
マリアは20代後半で、大学のカウセリングの仕事をしている。
"ようこそ、私の国フィリピンへ!"と全員に握手を求めた。

パーマ髪をした女性はマリアの友人で、家内のお手伝いをしているらしい。(よく分からないが・・)

名前はパピィだった。

そしてASLが盛んに飛び散る環境の中で、俺はひたすら沈黙しかなかった。
ASLを覚えればよかった!と後悔し始めたハオでした。

途中で、トイレに行きたくなった俺は、トイレを借りることにする。
トイレはシャワーと同室だった。
用を済ませて、水を流そうとするが水が流れない。
焦った俺はドラちゃんを呼び出すが、マリアが"夜は断水が起きて水は使えない"と説明してくれた。
初めてカルチャーショックを受けた。
つまり、夜は我慢しないといけないのか!?(汗)
同然、次の日までそのままそうしないといけなかった。

1時間ぐらい会話をし、そろそろ寝ようと誰が声をかけたきっかけで、俺と翔とドラちゃんを部屋まで案内してくれた。

部屋は5畳ぐらいの大きな部屋だった。
ベッドが2つあって、3人でどうしようかと話し合っていたときに、
翔は「俺が床で寝るよ!」と言ってくれたので、俺とドラちゃんがベットで寝ることに決定した。
そしてマリアが色々紹介してくれて、"Good night"と別室に去った。

その部屋はクーラー付だったので非常に助かった。
その部屋から出ると、あっという間に湿った暑苦しい空気が流れてくるのだ。
翔が「今、フィリピンにいるんだなあ。信じられないよ」と口をこぼし、ドラちゃんが「これから始まったばかりだ!」と気合を入れた。

俺は掛けてある柱時計に目を通して「今、1時か・・・日本では2時だね。そろそろ寝るよ」とベッドで横になる。

しかし気がついたことは、上にかけるものがないのである。
クーラーが寒かったので、布団のカバーで寒さを凌げて深く眠ったのである。

フィリピンの旅は始まったばかりだ。
これから6日間もある。
なにが待っているだろうか!?

そう思うと、わくわくしたがここまで色々あったので疲労が一気に湧き上がり、深く眠ったハオでした。

2日目へ工事中

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