8
123567
戻る

5日目
7時ぐらい起床。
8時に1階に行くと、男性の日本人がいた。
若い青年だ。年齢はハオとタメだ。

彼はチェブと言って、おとといキムが迎えいこうとしたがドタキャンされたという日本人旅行者だ。
笑顔でとても好感を持ちやすい青年である。


そして、チェブ⇔キム、ツーサ⇔ソロ、ハオ⇔コソゥ
でそれぞれバイクに乗って、ベンメリア遺跡へ出発である。
コソゥは初対面だったが、クールな青年だった。
彼はソロと同じく日本語が話せない。
目つきが悪く、手には銃(?)らしきの跡や怪我の跡が多く過去に秘密がありそうだなと思った。


シェムリアップ郊外で片道2時間である。

途中で休憩をして朝飯を取ることにする。
全員クイティウを食べることにする。
クイティウはカンボジアの代表的な麺です。
カンボジア人は、朝ご飯によくこの麺を食べます。
米粉で作られている麺とダシのきいたさっぱりしたスープとの組み合わせが絶妙でうまかった。



コカ・コーラ、ミネラルウォーターを合わせて1ドル以下だったので安い。

食事を終えて出発した。

ハオら3人の他に走っている車やバイクが少なかったので、3人はレーサーのように追い抜いたりしたりしたので楽しかった。



しばらくは地平線が続いていて快感だった。
思わず両手をあげて風を体全体で感じ取った。


腰が痛くなってきた頃になんとかベンメリア遺跡前に到着。
しばらくはハンモックで休憩を取っていた。

ここはまるで田舎のようで、のどかだった。


30分後、ソロとコソゥを置いてキムとベンメリア遺跡に向かった。
遠くに「Danger」と地雷マークが置かれているのを見かけた。
ここはまだまだ地雷が全部取り除かれていない地区だ。

ベンメリア遺跡は熱帯樹の茂る密林が遺跡全体を覆っているようでした。
キムが「ココ ハ 日本 デ 言ウト 天空城ラピュタ ト シテ 言ワレテイマス」と言っていた。
そんな雰囲気でしたが、ラピュタが多いなと思ったハオでした。




キムがチェブに「アンパンマン デス」と指を指した。
アンパンマンそっくりの彫刻がここにもあった。

ここの遺跡は発見当時のままの状態で、修復されていない。
しかもひどく壊れている。
キムは「昔、ポルポト ガ 壊シマシタ。」と説明していた。
ポルポトはなにを考えているんだ?こんなすばらしい遺跡を壊してなにかメリットあるだろうかと腹をたてたハオでした。


崩れて積み重なっている石の上を進んだときは童心に戻ったぐらい冒険気分で楽しかった。





途中に保存状態がいいナーガを見た。
今まで見た中で一番きれいな状態だった。
ほとんどナーガって首半分なくなっていたり壊れかけているのが多いのだ。


満足して戻る途中に子供たちが樹に向かってパチンコしている。
なにをやっているだろうと思っていたらキムが「アリ ノ 樹 デス」と言っていた。
よく見てみると樹にアリがたくさんいたのだ。
子供たちはそのアリの樹についている果物を狙ってパチンコを撃っているのだ。
なかなか当たらないので、キムが代わりにやると何個か樹の実が落ちてきた。
それを子供たちが食べるのである。


面白い風景だった。

ソロとコソゥがいるところに戻って、出発した。
キムとチェブは途中で別の観光地に向かうためお別れとなった。
(ハオらはベンメリア遺跡だけしか契約していなかったので)

しかし、2時間は非常に長かった。
腰が痛くなった。

シャムリアップに着いたとき、途中にある両替所でおろしてもらった。
所持金が底をついたので、予備の1万円を両替するためだ。
残りは300ドルぐらい。旅はあと4日もある。
大丈夫だろうかと不安になった。

そこでソロとコソゥとお別れして、ハオらはオールドマーケットまで歩いた。

オールドマーケットは、野菜や肉、魚などの食料品から、花や雑貨類、おみやげ物などいろいろな小さな店がところ狭しと、上野のアメ横のような感じで並んでいます
とにかく臭い!!強烈だったのは魚のにおいだ。
なんか知らないけど、言葉では表現できない酢みたいなにおいが漂ってくるのだ。

オールドマーケット内を周ってお土産を少し買ってから近くにあったメキシコ料理店でランチをする。

タコスとミックスジュースとミネラルウォーターを注文した。
なぜメキシコ料理なのかは説明できないが、そのときは猛暑だったので休みたい気持ちが強かったからである(笑)

味は普通だった。

しばらく休んだ後、タ・ソムゲストハウスまで歩いた。
周りからバイタクの人が何人か声をかけられてくる。
聞こえないハオには否定しまくるしかなかった。

大体徒歩30分ぐらいタ・ソムゲストハウスに着いた。

そのとき睡魔に襲われて、ベッドに着くなり眠ってしまった。

2時間ぐらい昼寝をして、1階に行った。
そのとき東洋人の女性が座っていた。
するとツカサが親しく声をかけた。
ツカサは「昨日、会った女性だよ」と紹介してくれた。
50代ぐらいでとても優しそうだった。

色々話をした。

彼女は鈴木 眞由美さんと言う。
九州から来て、結婚している。
1年のうち半年は夫婦共々お互い好きな国へ旅行して、半年は夫婦一緒に暮らすという家庭だ。
子供はいないという。
カンボジアに来たのは2回目で今は簡単な日本語を教えているという。
今まで結構色んな国を回ったと言う。
その中で一番良かった国は?と聞くと「カンボジア」と答えが返ってきた。


するとソロがやってきてなにらか話しかけてきた。
鈴木さんが通訳してくれたので非常に助かった。

キムと夕方、西パライに貯水湖があり、そこで夕日を見る話があったが
支払った契約金の中にそれが含まれていないということだった。

いくらかと聞いたら一人3ドル(?)と追加料金がかかる。
どうしようかと悩んでいたが、空を見ると今にもスコールが降ってきそうだ。
「スコール降りそうじゃん」と言うと、ソロは「ノープロブレム」と言い張る。
ほんまかよ。。。どう見ても降りそうじゃん。
ここは信じることができなかったので断る。

しばらくして、断って正解だった。
バーッとスコールが降ってきたのだ。

「ほらみろ!」と言うと、ソロは恥ずかしそうな顔をして「アイムソーリー」と謝っていた。


ということで、1階のテーブルに座って鈴木さんとソロと色々話をしていると
ニコニコしている東洋人の男性から話しかけられた。
「Japanese?」と聞くと「No,Taiwan」と言っていた。
台湾人が隣の席に座って、色々話した。
彼の名前は と言う。
鈴木さんの話によっては「彼は今まで5カ国ぐらい旅をしてここに来たんだって」と言う。

筆談したが英語が分からなく困っているとき、彼は「カンジ OK」と言ってきた。

ということで
「我 台湾 好。今度 台湾 行 希望。」
のように漢字を書くと、なんと通じたのだ!!

そして
「台湾 有名 何?」と聞くと彼は通じなかったので「What good vest spot in Taiwan?」と聞くと通じて「台北101」と書いた。
世界一のタワーとして聞いたことがある。

などのように色々話をしていくと、突然彼は「Your name?」と聞かれた。
自分の名前を書くとそれを台湾語にしてくれたのだ。

瀧本 大介 → ロンプェン ターチェだった。正直かっこよかった(笑)

その後、メアドを交換して『あとでメッセンジャーをやり取りをしよう』という形になった。

すると、一人の女性が入ってきた。
若い女性だ。
鈴木さんと同じくタ・ソムゲストハウスに泊まっていた。
彼女の名前は山田 智美さんと言う。
和歌山から来た人だ。
年齢はハオの一個上で、近かったので意気同合した。
彼女はバックパッカーに憧れて、長く勤めていた会社を辞め東南アジアの旅に出たのだ。
ハオの憧れているスタイルだったので、いいなあと話を聞いた。

そして、キムとチェブが戻ってきた。
「どこ行ってきたの?」と言うと、射撃場と山奥の遺跡を見にいったらしい。

このあと皆で食べに行こうと言ったが、チェブはこれからアプサランダンスを見に行くらしい。
残念だ。

しばらくは全員テーブルに座って色んなトークが飛び散った。
キム、ソロの似顔絵を描いて渡すと喜んでいた。
途中、キムが上半身裸になった。
自慢の刺青と筋肉を皆に見せていた。
なんか毎日トレーニングしているみたい。


そこでハオは「腕相撲やろうか」と提案。
ハオも弓道とかフットサルとかやっているので多少は筋肉がついている。

「OK!」とキムものって、全員に囲まれて熱くなる。

「レディ〜ゴー!」
と腕相撲がはじまる。

うっ!思ったよりすごい!
ほぼ互角だった。
一瞬でも力を抜けば持っていかれそうだ。

お互い顔が赤くなる。
周りはつばを飲む。

そのとき、キムのスタミナ切れによりふっと力を抜いたのでそのときに一気に決めた。

周りは歓声なのだが、キムは落ち込んでいた(笑)


そして、いつも通りトークに戻った。
俺は「そうだ!そこらへんに食べられる虫を売っていないかな?」と思い出してキムに聞いた。
すると、タ・ソムゲストハウスの近くの路道に売っているということだった。
チェブはそこで試食とし一匹タダでもらったそうだ。
さっそくそこの場所に向かった。
カゴにたくさんの虫が入っている。よく見るとコオロギだった。
おばさんが『食べる?』と虫を1匹もらった。

早速食べてみると・・・うますぎる!
エビの味がするのである。

大変気に入ったので『くれ!』と注文した。
すると袋いっぱい入れるのである。
そんなに食べられないので「ハーフ」と言うと、「OK」と半分してくれた。


皆がいるところに持って帰って、食べて食べてと差し上げる。
山田さんとキムは嫌がって食べなかったが、他のカンボジア人と一緒に食べた。
するとキムが「ビール ト 一緒 ニ 飲ムト オイシイデス」と言うので、残った物はあとで食べることにした。

シェムリアップは今日までである。
明日はプノンペンに戻ってシアヌークビルに行く。
キムにビックアップトラックでプノンペンに行くと伝えてある。
ビックアップトラックは大変危険らしく、何度もキムから反対された。
でも、俺は「アイ ウォント トライ!」とキムの意見をはじいた。
そのとき、キムから突然「明日 ハ バス デ 行ッテ 下サイ。トラック ハ 大変 危険 デス。ドウカ オ願イシマス」
と頭をさげられた。
そこまで言われたら「いいえ、トラックで行く」と言えず、仕方なく「分かった。バスで行きます。」とした。
そして、バスのチケットを手配してくれた。一人4ドルだった。

途中からキムとチェブはアプサランダンスを見に行くためにいなくなった。

そのとき一人のカンボジア人が日本語を少し話せたので、少し話すと
「良カッタラ ワタシ ノ 日本学校 ニ 見ニ来マセンカ?」と誘われた。
彼はコークと言う。

興味あったので行くことにする。
鈴木さんと山田さんも一緒だった。

コークと山田さんは先に行って、俺と鈴木さんはリヤカーバイクに乗ってあとから追いかけた。
着いたときは授業中で鈴木さんと後ろの席に座って授業の様子を眺めた。
・・・が、なにを言っているのかさっぱり分からない!(笑)
たまに鈴木さんから通訳してくれたが、ほんの一部分だったので俺にとって授業中は退屈だった。



授業は30分で終わった後、コークのバイクで俺と山田さんと3人乗りでタ・ソムゲストハウスに戻った。

そして、コークのバイクにリヤカーをつけて がオススメするカンボジア料理店に連れてくれた。
そこの店は観光客用じゃなく、カンボジア人が集まる店だった。
よって値段も安かった。
4合ぐらい入ったご飯×2、卵巻きとつけもの、辛い肉料理、辛いスープなどでなんと3人で割って一人1ドルだった。



しかし、そこの店でアクシデントが起きた。
食事中、突然お腹が痛くなった。
食事中なので「トイレに行きます」は言えない!!
しかもコークのオススメするカンボジア料理店なので「トイレに行く」は大変失礼なことである。
しばらくは我慢した。
・・・が全身悪い汗が出てきて、どうしても我慢ができなくなり、「食事中にすいません・・・お腹を壊しました」と正直言ってトイレへダッシュ。
戻ってきたときはきまずい雰囲気だった。
コークはなんかがっかりの顔をしていそうだった。
そこからなぜか食欲まで失せてしまい、全部は食べられなかった。
ごめんなさい!コーク!!

食後、タ・ソムゲストハウスに戻って皆は「おやすみなさい」と解散した。
戻ったら食べようとしていたコオロギを食べる気持ちがなかったので、コークにプレゼントした。

自分の部屋に戻ってベッドに入ってしばらく横になっていた。
そういえば妙に体が重い・・・

しばらく後、気分が悪くなりトイレで吐いてしまった。

なぜなんだ?
もしかしてコオロギがダメだったのか?
コオロギの油がダメだったのか?
原因は分からなかったが、夜中に二回も吐き出すぐらい気分は最悪だった。

4日目へ← →6日目へ

戻る
当サイトに掲載されている文章、写真等の無断転載・転用を禁止します。
inserted by FC2 system