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2日目
5時ぐらい起床し、6時ぐらいにチェックインを済ませた。

しかし、いつもと違ってすごく時間がかかる。
「どうしたんだろう?」と不安な気持ちになるが、受付の人が筆談で
『オーバーブッキングなので、席をビジネスに変更してもかまいませんか?』ということだった。
まさか、ここでオーバーブッキングとは!
初めてのオーバーブッキングだったので興奮した。

しかも、初のビジネスクラス!

席は一番前から2番目だった。
シートはすごく広く、とても快適だった。

意味が分からなかったが、後ろに座っていたエコノミーの人が見えないようにカーテンを閉めた。
エコノミーの人からの視線を防ぐためだろうか?

そして、エコノミーよりもすぐ食べ物が届き、フライトアデンタントのサービスも何より良かった。


白のシートをひき、機内食が出た。
エコノミーと同じかどうかは分からなかったが、味はおいしかった。


しかし、台湾からカンボジアまで3時間。
夢のような3時間はあっという間でした(笑)


10時にカンボジアのポチェントン空港到着。

苦戦したのがVISAの申請書。
地球の歩き方に書いてある申請書とは変わっていたのだ(汗)
辞書で調べたりしてなんとか全部書き上げた。
VISA申請書、パスポート、証明写真を渡すと、『向こうで待ってください』と言う。

そして、待った。
すると、若いあんちゃんがなにらかツーサにつぶやいていた。
「アイ アム デフ」と言うと、「ふーん」と見下したような目で黙る。
その態度にむかっとした。

「アイ アム デフ」と言ったにも関わらず、又つぶやいてくる。
必死に口元を読もうとしても、唇の動きが小さくて早いので解読不能。

「プリーズ ライト!」と言っても、筆談してくれない。
段々イライラしてくると、そのあんちゃんは10ドルを2枚、20ドルを出して見せてくれた。

ああ、「20ドルかかります」とさっきから言っていたのか・・・
というよりバリアーフリー設備悪いな!ここは!!
身振りでもいいからなんかやってくれよ!!

20ドルを支払うと、パスポートを返してくれ、パスポートを見るとVISAが貼られていた。

そして、入国となった。

空港ゲートを出ると、そこは客引きの集団だった。
なにを言っているのか分からなかったが、お決まりの『安いよー!』『いいホテル知っているよー』の連続だろう。
ここは当然シカトして、バイタクを探す。

そういや、ここの客引きの迫力は今まで旅をした中でランク2に入るぐらいだな。
1位はインド。
3位はネパールだな。


外に出ると、バイタクの人が自分から話しかけられた。
『町まで一人2ドルだ』と言っていた。
一応、地球の歩き方を開いて、自分が泊まろうと思っていたロイヤルゲストハウスに指をさす。
「OK!」とバイタクに乗ることに。

ノーヘルで後ろに乗るってちょっと怖い気がしたが、これまた面白かった。
スピードは50キロ程で公道を走った。

公道を走る車両の8割がバイクだった。
とにかくバイクの数が半端じゃない。
それがカンボジアに来て、最初のカルチャーショックだろう。

追い越しの繰り返しで、周りも町らしき場所になってきた。

そして、バイクが止まった。

しかし、ここは俺が泊まりたいゲストハウスじゃなかった。

「ここ違う!」と運転手をにらむ。
ホテルに連れて行って紹介料をもらう手でよくあるパターンだ。

もう一度地球の歩き方を開いて、「ここに行きたいんだ!他は泊まらんからな!!」と話しかけ、運転手は諦めたらしく「OK!」と再度出発とした。

一応念押しで「2ドルだからな!」と言った。
「OKOK!」と頷く運転手。


しばらく走っていると右から走ってきたバイクと衝突した。
お互い急ブレーキかけていたので、たいしたダメージはならなかったが、それにしても驚いた。
運転手と運転手がなにらか言い争い、ぶつけた運転手が笑って解決となったらしい。

5分後、希望のロイヤルゲストハウスに着いた。


ゲストハウスに着いても、バイタクの人は『これから観光地を周る?周るなら俺を雇ってくれ』としつこく勧誘された。

しかし、俺は全然違う宿に連れてきた時点で信頼が出来ないと思い「ノーサンキュー!」と強く断った。

それでもバイタクの人は粘っていたが、ここは無視してゲストハウスに入る。

中から女性のオーナーが出てきて、「I want stay 1day.Room look.」と筆談すると「Ok」と部屋を見せてくれた。

しかし、その部屋は15ドルだった。
「高い!もうちょっと安い部屋ないのか?」と言うと、"クーラーなしだと10ドル"ということだった。
(一人5ドル)
扇風機もついていて、シャワーは温水が出るという。
しかし、気になったのはベッドが1つだけだ。


他の部屋は満席でないということだった。
(本当か…?)

しょうがなく、この部屋に決めた。

そして、荷物を部屋に置き、1階で契約書にパスポートナンバーなどサインした。

「このあとどうしようか…?」と話し合っているとき、ゲストハウスの中にバスのチケットを取ることもできると書かれていたり、観光地に連れてもらえるツアーもあった。

バスはシェムリアップまで一人5ドル。
お願いすることにした。

そして、観光地を見ると
キリングフィールド
トゥール・スレン博物館
国立博物館
そしてシューティング場
など車で連れてもらうツアーで一人5ドルだった。

結構安めだったので、(ガイドブックではバイタクでキリングフィールドまで連れてもらうのに5ドル〜6ドルかかると書いてあった)それもお願いすることに。

そして、『いますぐ出発だ』と準備にとりかかった。

奥からドライバーらしき人が出てきた。
彼は若そうな感じだった。


車に乗って出発となった。



郊外だったようで思ったより遠い。
周囲は畑だらけで地平線が続いた。


30分後、キリングフィールドの場所に着いた。
キリングフィールドというのは、ポル・ポト支配下のとき、大量虐殺が行われた刑場跡と言われている。

入場料2ドル支払った。

近くに地雷で足を失った人が「マネーマネー」と手を突き出してくる。
そういう人がいるということは本を読んで分かっていたのだが、実際目の前にいるとなると対応に困るものだ。

難しい問題だが、一人に寄付すると他の人が集まってくる。
全員対応しきれるか?
一人寄付したからってなにも解決できるわけじゃない。
1日の生活費の足しになるだけだ。
明日から別の人に「マネー」と言うだろう。
それに単に自己満足だけのような気がしてあげる気になれなかった。
厳しいかもしれないが、そういうのはボランティアや国の支援などに任せて、俺らは観光を楽しむだけでいいと思う。
そのために来たのだから…


目の前に慰霊塔がたっていた。
ここにポルポトに殺されたカンボジア人の骨がたくさん並んでいた。
とても無念な思いで殺されたんだろう。
そう考えるととても悲痛な思いになった。

静かにその場で合掌した。



それからキリングフィールドの中をまわった。
中はたくさんの深い穴があった。
ツーサに「地雷?」と聞かれ、「これは骨を掘り出すためにできた穴だよ」と説明した。
今でも掘り出されていない骨がたくさんあるようだ。


本では当時はとても悪臭がしたようだ。
服に匂いがついて、しばらく洗っても取れないほどだったそうだ。

キリングフィールドを一周して周っていると、今度は子供たちがやってきて「マネーマネー」と言う。
とてもしつこかった。
「ノーノー」と断ると今度は『水をくれ』とツーサに言ったらしい。
とても辛い現状で、ツーサも対応に困っていた。

ここも最後まで心を鬼にして否定した。
あまりにもしつこかったので、「ここは慰霊塔だよ。君らもわかるだろう」と日本語で話すと、子供たちは去っていった。


車に乗って次の目的に出発とした。

次の目的地はトゥール・スレン博物館だ。
入場料2ドル支払う。



ここは元々学校だったが、ポルポトが占領してカンボジア人に激しい拷問を加えたところだ。
とても重苦しい空気が流れた。

当時の拷問の跡が生々しく残っています。
血も残っています。

なにもない部屋に鉄ベッドが置かれているだけだ。
その近くの壁に一枚の大きな写真が飾っている。
その写真はベトナム軍かアメリカ軍が発見したときのカンボジア人の遺体だ。
その姿はすさまじかった。
写真が白黒であまり見えなかったが、目と口を開いたまま死んでいる人。
そして、別の所は腹をかっきられていて、腸が見えていたり…

別の部屋に行ったとき、言葉を失った。

ポルポトは処刑する前になぜか写真を撮る習慣があったようです。
その写真が何枚か飾ってある部屋。

ひとつの部屋に100人以上の写真が飾られていた。

皆、すごい目をしていた。
死を目の前にした目だ。
なにも知らなくて笑っている子供、あざ笑う青年、にらむ老人、おびえる女性…
本当に言葉が出なかった。
まるで、全員が俺を注視しているような気がした。

撮影してから待っていたのは想像を絶する拷問。
それが終わった後は死。


ポルポトは300万人程カンボジア人を殺したのだ。
理由は特にない。
カンボジア人がメガネをかけているからとか、居眠りしたからとか、転んだだけとかでスパイと見なされ殺したのだ。
その時、俺たちはテレビでアニメを見て爆笑していたのだろう。
そんな遠くもない過去。

なんとも言えない現状を目の前にして、俺はなにも言えなかった。

拷問の部屋は数え切れない程あった。

別の部屋にはあのときのポルポトが今、こうして平和に暮らしていますというような写真があったが、そのポルポトに誰かが落書きをしていた。
皆は怒りを覚えていたんだろう。

ひとつひとつ部屋をまわっていると吐気を覚えた。

一回見ただけで十分だろう。
もう二度行くことはないと思う。

トゥール・スレン博物館を見たあとだから、行く気持ちがかなり失せていたが、せっかくカンボジアに来たんだからこれは経験しなくてはという気持ちでドライバーに「シューティング場に連れて行ってくれ」とお願いした。

そのときドライバーはなにか話しかけてきたが、俺らは聞き取れなかった。
何度も聞き返すと、周りに色んなカンボジア人のドライバーが集まってきて、『どうしたどうした』の様な感じになっていた。

何度も『シューティング場に行きたいの?撃ちたいの?』と聞かれているようだった。
「YES」と答えると、ドライバーはやっと運転した。
しかし、あまりいい顔をしていなかった。

その時の状況を推測してみると多分、ドライバーはこう言っていたと思う。
『シューティング場はキリングフィールドの近くにある。また郊外に行かないといけないのが面倒くさい』
確かにキリングフィールドの近くだったし、かなり遠かったので、ドライバーもイヤだったんだろう。

細い道、軍隊の施設の近くだった。

係員らしき人が出てきて、メニューみたいなものを手渡された。
ハンドガン、マシンガン、ショットガン、手榴弾などたくさん書かれてあり、その隣に弾数と値段が書いてあった。

驚いたのはロケットランチャーもあったことだ。
それは200ドルもする。

とりあえずハンドガンとマシンガンの2つをお願いした。
ハンドガンは8発で20ドル、マシンガンは15発で25ドルだった。

そして、暗い部屋みたいなところに連れていかれた。
部屋はシューティング場らしく奥にいくつかの車のタイヤが置かれていた。

マシンガンは机の上に固定されていて右肩で押さえしっかり左手で持った。

いよいよ撃てるんだ。。。

とハオはドキドキ。

そして右手でトリガーを引いた。


パァアアアアアアアアアアアアアアアンッッッッ!!!!!

轟音が脳を轟かせた感じだ。
目から火花が飛び出た気がした。

映画とかゲームの銃を撃つのとは全然違った。
まるで映画とかゲームがお子様向けの感じがした。

そして二回目のトリガーを引く。


パパアアアアアアアアアアアアアアアアンッッッ!!!!

もうお腹いっぱいッス。
マジでもう撃ちたくない気持ちになった。


そのとき気がつく。
目の前の机に耳栓用のヘッドホンが置かれていた。
係員は耳栓用のヘッドホンをしていた。

なんで俺だけ耳栓用のヘッドホンを渡されないんだ…汗
もしかして聞こえないから不要かなと思われたのかな?
道理でうるさいはずだった…

耳栓用のヘッドホンをして、半分ぐらい撃ってからツーサに交代。


それからハンドガンを体験する。
マシンガンだけで終わりたい気持ちだった。

すでに注文してしまったから時すでに遅し。


係員から体の向きとか撃ち方とか教わって、その通りやった。


パァアーーーーーーーンッッ!!



マシンガンより音は低めだったが、腕は必ず上にあがってしまう。
マシンガンよりもハンドガンの方がやりやすいと思った。

調子に乗って連続に撃つ。
あっという間に弾が半分になったからツーサに交代。


ツーサの体が不安定だったので、撃ったときその衝動で銃口が俺に向いたときはマジでびっくりした。
係員も慌てて止めていたし…


すべて撃ち終え会計をお願いした。

その値段は70ドルだった。

なぜ高いんだ!と思って尋ねたらマシンガンのマガジン(弾倉)2個分だと言う。
俺は係員に「マガジン一個分で半分ずつ撃ちたい」と言ったことを「マガジン一人一個ずつ」と聞き間違えたらしい。

もう撃ってしまったしレストランで間違えて料理が来ても文句を言ったのは食べた後みたいな感じだったから、ここは仕方なく70ドル支払った。


改めて考える。
これで人の命を簡単に奪ってしまうものなのか…
そう考えると怖くてたまらなかった。

良い経験はしたが、シューティングはもう行くことはないだろう。

俺はドライバーに「I am hungry. Lunch.」と言うと、ドライバーのオススメのレストランに連れてもらった。
そこは外人向けレストランで値は少々高めだった。
カンボジア風焼きそば、コーラを頼んでおよそ3ドル以内だった。


食後、国立博物館に連れてもらった。
クメール彫像82点が展示されている。

入場料金は2ドルだった。


本当は館内撮影禁止だったが、帰国した後ホームページを見て気がついた。
(係員の近くで撮影していたのに、なぜ注意されなかったんだろう?)

たくさんの像があり、細かい出来には驚くばかりだ。



しばらくのんびりした後、ドライバーの元に戻った。
そして、「フィニッシュ。バック ゲストハウス。」と言うと、なぜか嬉しそうな顔をするドライバー。

国立博物館からゲストハウスは近い距離だった。

ゲストハウスに戻るとオーナーから呼ばれて、バスチケットを渡された。
明日の7時半出発である。
"7時にここで来てください"と言う。
どうやらバスまで送ってくれるらしい。

部屋に戻り、少しのんびりしてからセントラルマーケットを見るために外出した。

ゲストハウスからセントラルマーケットまでは徒歩15分ぐらいの距離だった。

セントラルマーケットは大きなマーケットだ。



中に色んなものがそろっていると聞いていたが、俺が行ったときは17時近くだったのでほとんどの店が閉店していた。


果物屋でドリアンを3ドルで買った。(ツーサと半分ずつ出し合ったので一人1.5ドル)
店主がドリアンをさばいてくれたので、その姿を見るのが楽しかった。


セントラルマーケットの周りをぶらぶら歩くと小さなソーセージを売っている屋台を見つけたので購入することに。
その小さなソーセージはゴリゴリしていて風味が口の中に広がっておいしかった。
(なんの肉かは分からないけどね笑)

その後、セントラルマーケットの近くにあるソリア・ショッピング・センターに行った。
そこはクーラーがきいておりとても涼しい。
1階はスクーターとか腕時計とか売っていて、マーケットまであった。
2階から上は電気屋とか衣服類とか床屋などなんでも揃っていた。

まず、1階のマーケットでジュースを買ってから、2階をまわった。
ほとんどツーサが欲しいものばかりだった。
驚いたのは偽ブランド物が堂々と売られていることだ。
かなり値引きができる。
10ドルのかばんを7ドル〜6ドルまで値下げができたり。

そして、ゲストハウスに戻る。
あたりは暗くなってきた。

部屋に着くなり、さっそくドリアンを頂戴する。
ドリアンは日本の上野で食べたことがあるが、そのドリアンと全然違ってめちゃくちゃうまかった。
最初は苦味がするが、よく味わうと甘いクリームみたいな味が口の中に広がるのだ。


…が、ツーサは合わなかったらしく、「全部やる」とたくさんのドリアンを渡された。
困った。

日本でドリアンについて色々調べたのだが
「アルコールを飲んだ後ドリアンを食べると死ぬときもある。」
「ドリアンを食べ過ぎると体によくない。」
という情報を頭の中に入っていたので、ツーサからもらったドリアンをそれ以上食べる気持ちになれなかった。

食後、1階のレストランに行き、夕食をとることに。
しかし、ここも高かった。
とりあえず適当に料理を頼み、腹をふくらませた。

9時ぐらい床についた。

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