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8日目
6時半には起床。

今日が最後の日である。
明日からいよいよ日本に帰国できる。

朝、6時20分ぐらい起床して、もっちを起こして「いよいよ着くんじゃないかなあ?」と思うが、列車は6時半を過ぎても到着しない。
もしかして、遅れている可能性もあるので、列車でしばらくボーっとしていた。

8時過ぎると、2段ペットを折って、皆は1段ペットで座る。
もっちの顔色は良くなっていた。
昨日の薬が効いたらしい。
しかし、俺は少し体調がおかしかった。

9時半ぐらい、デリー駅に到着した。
3時間遅れである。

荷物を抱えで、列車から降りた。
正直辛かった。全然治っていないのだ。
大人しくしていれば元気だが、歩き回ると辛いと感じるのだ。

相変わらず、列車をおりるとすぐ、プラカードに俺らの名前が書いてあるインド人が寄ってきた。
悪巧みを分かっている俺らは「No thank you!」と断った。

ふらふらしながら、どうすると聞いたときに「メインバザールに行こうよ!」ともっちが提案した。
メインバザールは買い物としては安いところらしい。
欲しいものはあまりない俺はただ通るだけだった。

そして、「ラールキラー城に行こう」という話になった。

(ラールキラー:別名「赤い城/レッドフォート」とも呼ばれるこの城はアグラのタージマハルを築いたムガール朝第5代皇帝、シャー・ジャハーンにより1639〜48年にわたって造られた。2.5kmもの長い城壁で囲まれており城門は南側のデリー門と西側正面のラホール門がある。現在開かれているのはラホール門のみ)

メインバザール通りを出たところにリキシャに"ラールキラー城に行ってくれ"と言うが、どいつも"150Rs"と言う。
距離はそんなに遠くない。
バラナシで言えば、駅からガンガー河と同じ距離である。
「150Rsふざけんな!20Rsだろ」と言うと、誰もかいやな顔をして去っていく。
どうやらデリーの方が高いことが分かった。

歩くことを決定した俺らはラールキラー城まで歩く。
しかし、迷ったらしく人に聞いても反対側だと言う。
体調が悪すぎる俺は「リキシャで行こうよ」と言って、近くを通りかかったリキシャに"ラールキラーまで20Rs!!"と交渉する。
すると、簡単に"Ok!"と言ってくれたのだ。
リキシャに乗って、しばらく進むが"ここだ"と降りる。
ラールキラーらしいところはどこにもないのだ。
するとリキシャの親父は「Bus!」とバスを指さしたのだ!
もはや反論する気もなかった。
大人しく20Rsを渡す。
その人にとっては儲けになっただろう…

急いでバスに乗車する。
一人25Rsぐらいだった。
本当にラールキラーまで行ってくれるのかと不安になった俺ともっちは隣の人に筆談で聞いてみる。
隣の若者はなにかの英文を書いていたが、字が汚いのか別の字で書いているのか解読不能だった。
「Please write cleanly(キレイに書いてください)」と言っても、その若者は周囲のインド人とにやりにやりと笑っていた。
俺はその態度に頭にきて、もっちに「馬鹿にされているんだよ」と言って、別の人に「ラールキラー!?」と大声で怒鳴った。
焦ったその人は「Yes!Yes!」と言う。

本当に疲れる。
体調が悪いときは勘弁してくれよ…と思った。

15分後、ラールキラー城らしいところが見えて、皆は"ここだよ"と教えてくれ、降車した。



ラールキラー城に入ろうとするが、警備員に止められた。
どうやら入場券を買わないといけないらしい。
その入場券を売っている場所に向かって、入場券を買って再度警備員のところに戻るが、今度も止められた。
今度は "荷物は預かってください"と言っているらしい…。
荷物を預かってくれる場所に行くと、2人で50Rsかかることが分かり、それを預かった。
「なんでも金、金なんだな!インドは!」と不愉快に思った。

ラールキラー城にようやく入場できて、身体チェックさせられ、無事に入ることができた。
中を色々見学するが、俺は見学したい気分じゃなかった。
むしろ寝たい気分だった。
広場にあるベンチで俺はもっちに「俺はここで寝ているから、もっちは一人で見学してくれ」と言う。
俺はしばらくベンチで寝ていた。

見学を終えて戻ってきたもっちに俺は「本当に辛い。ホテルで寝るから、どこかの安いホテルに泊まろう」と言って、帰りの空港のバスが近くにあるホテルに泊まることにした。
ここはコンノート・プレイスという金持ちの町だったので、どのホテルも高く、シングルで一番安く帰りの空港のバス停から近いのは300Rsのパレス・ハイツホテルだった。

そして、ラールキラー城をあとにして、リュックを戻そうとするが、「500Rs」と要求されたのだ。
頭にきたもっちは「No!50Rs!!」と反論し、"そこの警備員は50Rsと言っていました!証拠にノートに書いてあります!"と怒鳴った。
相手はタジタジし、「Ok!50Rs」と小声で言う。
なぜ50Rsが500Rsになるのかその人の神経が疑わしかった。
いや、それよりも反論するもっちの姿勢を見て感動した。
やればできるじゃないか!と思った(笑)
この旅をして、もっちも随分成長したような気がする。
俺はその姿を見てうれしく思った。

コンノート・プレイスまでのバスを周囲の人に聞いて、無事に乗ることが出来た。
20分ぐらい、高層ビルが並んでいるのが目立ち、周囲も豪華なお店ばかりだった。
今は工事中だが、もうすぐ地下鉄ができるという話である。
おまけにこの地下鉄は日本人が援助しているという話である。

早速、パレス・ハイツホテルを探すが、どこにも無かった。
人に聞いてみると、"向こうだよ"と教えてくれ、その方向に歩くと全然違う場所に。
別の人に聞くと、"反対側だよ"と教えてくれた。
嘘をつかれたことにものすごく頭にきた。

ようやくその場所らしいところに着くと、リキシャの客引きがすごい寄ってくるのだ。
大声で必死の客引き。
そして具合の悪い俺。
あまりにもしつこいので、俺は切れてこの旅初めて「シャラップ!(黙れ!)」と 暴言を吐いたのだ。
相手はビビッた顔をして、静かに去っていった。
なんかインドに来てから人格が悪くなるなあ…と実感し始めたハオでした。

あちこちまわっても見つからないので、人に聞こうと思った時に、マクドナルドを見かけた。
インドに来てから初めて見たのである。
ハンバーガーの味が懐かしかったので、お互いに「行ってみる?」と聞き、同意見だった。
びっくりしたのは、値段が高めだったことだ。
ハンバーガーセットだけでも80Rsはする。
もっちはハンバーガーセットで、ハオはハンバーガーとコカコーラを注文した。
相変わらず俺だけはテーブルでぐったりしている。

☆ここからもどんどん状態が悪くなっており、記憶があいまいで、どんな味だったのかも忘れてしまった。☆

良かったことは、トイレがきれいだったことだ。
トイレットペーパーもあったのだが、もっちが全部使いやがった。
持っている少ないチィッシュでなんとか全部きれいに拭き終わったのだが、水が流れなかったので、一応このままにして去った(笑)

マクトナルドを出て、人に聞き場所を教えてもらって、ようやくパレス・ハイツホテルを見つけることができた。
ようやくペットに寝られる…と安心したハオでした。

しかし、甘くなかった。

パスポートの提示を求められて、色々チェックさせられた。
おまけに口話で話し掛け、"聞こえないから筆談してくれ"とジェスチャーしても相手は英語が書けないみたいだった。
イライラした俺はもっちを呼んで、通訳してもらい、全てもっちに任せた。
もっちが"彼は病気なので、ペットに寝かせたい"と言うと、分かってくれたインド人はすぐ部屋まで案内してくれた。

寝る前に、「もっちはどうする?」と聞いたところ、「ここら辺をブラブラして買い物をする」と言う。
そして、17時半に待ち合わせしようと約束をした。(現在の時刻14時)

もっちが部屋を出たときに、鍵を閉めて、ペットに寝込んだ。
深い眠りに入り、気がつくとあっという間に17時になっていた。

あと30分もあるので、再度寝ようとするが、眠れなかった。
起きて、体調を確認すると少しは前よりよくなっていた。
外に出ると、もっちが座って待っていた。
「色々買い物したよ。再びマクトナルドに入ってジュースを注文するとおまけにもらった」と俺にオレンジジュースをくれた。
ありがたいと思ったハオは、そのオレンジジュースをかぶ飲みした。

そして、もっちは「空港までのバスは18時45分だったよ」と言う。
バス停まで行き、調べてくれたようだ。

18時にチェックアウトを済ませ、バス停まで向かった。
そこで、バスを待っていると、40代ぐらいの日本人のおじさんが「中でバスのチケットを買うんですよ」と教えてくれた。
お互いに100Rsである。
タクシーだと400Rsぐらいするので、そっちの方が断然安い。

しばらく待っていると、日系のおばさんが話しかけてきた。
「Are you Japanese?」と聞いてみると「No Korea」と言う。
韓国人だった。
なんの用だと思うと、"バスは向こうですよ"と言っていることが分かった。
その方向に見ると、たしかに小さなバスが止まっていた。
大急ぎで、そのバスまで走った。
無事に乗った後、俺は後座席で大きく座った。

そのバスは運転手を除いて、4人ぐらいしか乗っていなかったのだ。

その時、チケットを買うことを教えてくれたおじさんが俺の前に座っていることに気がついた。
そのおじさんを見ていると、窓の外にいた物乞いが「バクシーシ」と言っていたのだ。
おじさんは無視するが、窓から手を出してくる。
慌てて、その窓を閉めると"この野郎!"と窓を叩いた。
その物乞いは俺のところにもやってきた。
窓を無理やり開けて、リュックを取ろうとするのだ。
びっくりして、リュックをどかすと窓から手が侵入し、俺の服をつかむのだ。
そして「バクシーシ」と言っている。
なにより一番辛かったのは、その物乞いは俺の妹と同じ年齢ぐらいの女性であったのだ。
10代初めの子供達だった。
俺は10Rsぐらいあげるか…という気持ちが湧き出て、自分のポケットに手を入れるとバスが動いてしまった。
後ろ方向に目を向けると、残念そうに歩く少女達。
実に辛かった。
俺はその少女に「君はまだ若い。これからの人生に向けて、大きく前向きに明るく生きて欲しい」と言いたかった。
当然英語ができないので、話せるわけにもできなかった。
俺は次のようなことを想像してしまった。
500Rsぐらい差し上げて、そのお金で人生をやり直すことに成功し、少女は世界の億万長者になる。
少女は成人に成長して、ハオをテレビの力を借りて探し、ようやく見つけ「あの時、あなたが差し上げた500Rsが私の人生を変えてくれました。お礼を言いたくてずっと探し回っておりました。」と涙を流す女性。
「なにあほなことを考えているんだ」と現実に戻るハオであった。

周囲は暗くなる。
渋滞であったバスは少しずつ進む。

インドの兵隊が乗っている車をあちこちで見かけた。

俺は途中で深く眠ってしまった。
1時間ぐらいしただろうか?
国内デリー空港を通って、最後に国際デリー空港に到着した。

バスを降りて、空港内に入ろうとするが、"0時からじゃないと入れない"と警備員が言う。
現在時刻は20時近くであり、あと4時間待たないといけなかった。
そして、出発時間は4時なので、計空港内で8時間ぐらい待つことになる。

近くの待合室で待とうとするが、入り口前に男に止められた。
「なんだ?」と思って、"筆談してくれ"とお願いしても、書かないでひたすら口話で話してくる。
その態度に頭にきて「俺らは聞こえないんだよ!」と耳に指を指して日本語で怒鳴った。
近くにいたインド人が筆談してくれた。
もっちは「待合室使用料を払う必要だってさ」と言う。
「ここもお金かよ!」とむかむかしているハオでした。
待合室使用料は一人25Rsかかった。

ベンチが複数並べてあるだけであって、適当に座り、ここで4時間待つことにした。
ここまでで、体調が再び悪くなり深く眠るハオでした。
ひたすら眠りまくった。

途中、もっちが「荷物を管理して」と俺に頼み、トイレに行った。
しかし、早く戻ってきて「お金がかかるんだって!」と言っていた。
俺は「おかしいな。反対側のトイレはお金かかっていなかったよ」と言う。
待合室使用料を使う前にちらっと目撃をしたが、多くの人々が出入りしていたのだ。
もっちはそのトイレに向かって、戻ってきたときは「本当に無料だった!」と言う。
有料と無料トイレがあるとは面白いなあと思ったハオだった。

しばらくした後、俺もトイレに行きたくなり、行こうとするが待合室使用料を払った時に証明チケットを無くしてしまったことに気がつく。
あれがないと、待合室を出たときにあとが面倒だ。
必死に探しても見つからない。
大も限界まで近づいてきた。
焦った俺はもっちに「君のを貸してくれ!」と言うが断られる。
「ドケチ野郎かあ!」と頭に来て、再度必死に探す。
結局、財布の中で見つかった。
意識がはっきりしなかったことで、無意識にしまってしまったようだった。
見つかったことで急いでトイレに向かった。

そのトイレは非常に汚かった。
フィリピンのトイレと代わりないのだが、足をかけて用を出さないといけなかった。
無料トイレってことで、トイレットペーパーはなかった。
(有料トイレだったらあるのだろうか?)

そういや、今日泊まったホテルから下痢がずっと続いているのだ。
俺も腹を壊したのかと不安だった。
(書き忘れたが、もっちはバラナシから腹を壊している)

熱と下痢。
これは最悪の組み合わせだった。

用を済ました後、一服をしてもっちのところに戻って再び寝た。
0時前に、「行くよ」ともっちに起こされて、空港内に入った。

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