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7日目
6時半には起床。

寝ているもっちをそのままにして、義償さんと一緒にスケッチブックを持ちながらガンガーを歩いた。
今度は昨日歩いた方向の反対側である。

今日も寒い。
しかしいつものように朝早くに水浴びをしている人々が大勢いた。
そして、河に板みたいなのが置かれてあり、そこで洗濯をする人々もいた。

ガンガー河岸の終わりまで歩くと、そこからお金持ち専用の街々が並んでいた。
そこで、チャイを注文して、6時50分からの朝焼けを眺めていた。
このチャイも義償さんのおごりである。
チャイを飲みながら朝焼けを見るのは実に爽快な気分だった。

そして、お互いスケッチ開始である。
40分ぐらいスケッチをして、そのあと久美子ハウスの近くで休憩して、ホットレモンティーもご馳走してくれた。
義償さんは「僕はいつも絵を描いた後、ここでレモンティーを飲むのが楽しみなんだ」と言う。

7時半前に久美子ハウスに戻ると、もっちが起きていた。
そして、義償さんの部屋で描いたスケッチに色を塗った。
他に「ここで俺らの絵をドミトリー部屋に貼りたいね」という案が浮かんで、俺ともっちの似顔絵を漫画風に描いたものと、「旅人-たびじん-に遊びに来てね」と宣言したイラストを描いた。
描き終わった後、義償さんから借りたのりを全面塗って、ドミトリー部屋に貼った。
「次回来たとき、そのイラストが残っていたら、喜びは大きいものだな」と思った。

8時15分ぐらい、義償さんは「朝飯だよ」と教えてくれて、全員3階に行く。
今日はチャイ、パン、昨日の残りもの、果物ヨーグルトだった。
相変わらず、果物ヨーグルトはとても美味で何度もお代わりしていた。

義償さんの部屋に戻ったとき、体調がおかしいと気がついた。
なんとなく体が重い気がするのだ。
義償さんも「様子が違うからおかしいと思ったよ」と言っていたぐらいである。
こんなときに体調を崩すとは…(汗)

11時ぐらいチェックアウトである。
料金をまとめて払って、12時ぐらいまで義償さんの部屋に居させて頂いた。

先生と金子(女性)さんとノビさんにもお別れの挨拶をした。


そして、義償さんから、もっちになにかの英文を書いてほしいと頼んで、もっちが全て英文に翻訳した。
ハオには「日本に帰国したら奥さんに手紙を出して欲しい。
そして、ファックスで僕のことを書いて欲しい」とお願いしてきた。
勿論、承諾した。

義償さんの書いた絵を1枚欲しいと聞いてみると、「好きなのを持っていって」と壮大な心の持ち主の義償さんはOKしてくれた。
もらった絵にサインとメッセージを書いてもらった。



本当にお世話になりました!義償さん!!

最後に、義償さんと堅く握手を交わして、お互い強く抱きあった。
「日本で会いましょう!」という言葉を残して、俺らは久美子ハウスを出た。
義償さんは久美子ハウスの入り口まで見送ってくれた。

少々寂しい気がした。
しかし、これが旅なのだ。
出会いがあって別れもある。でも、生きていればいつでも会える。
と自分自身そう思って、迷路みたいな通路からバザール通りに出た。

列車は14時半に来るのだが、正確に来るのか分からない。
ここまで来て、俺の疲労は限界まで辿り着き、歩くことさえも辛かった。
ようやく捕まえたリキシャに乗って、俺はぐったりとした姿勢で座り込んでいた。
太陽の光がまぶしかった。
激しい息切れがする。
熱もあるらしい。
とにかく、早く寝たかった。

12時半ぐらい、バラナシ駅に着いた。
今度は赤帽にたよらないで、自力で列車を探すことにした。
しかし、体調の悪い俺は、待合室でぐったりしていた。
心配したもっちはバナナ、みかんを買ってきてくれ、もっちは列車が来るホームを探しにまわった。
俺は待合室でもっちのカバンを見張る役目であった。
今はなにも考えたくない。寝ることばかり考えていた。

☆ここから記憶があいまいなので、覚えている一部分だけを書き出そうと思います。☆

14時半ぐらい列車が来た。
意識がはっきりしない俺はひたすらもっちの後を着いていくだけだった。
駅員に聞いてみると、"ここだよ"と列車に入り、席まで案内してくれた。
ようやく椅子があって、腰をおろすと駅員からなにかを呟いていた。
なんと"金を払え"と言っているのである。
反論する気もなく素直に50Rsぐらい払う。
そして、俺はもっちに「人に甘えた時点で負けだな。ここは甘えというものは存在しないし、自分でやらなきゃダメだね」と言った。

しばらく後、インド人がやってきて一緒の席に座ると思ったが、インド人はなにかを話し掛けてきた。
もっちはそのインド人と話をして、その後、どこかに消えた。
戻ってくると「席が違うってよ!」と言う。
そのとき、俺は怒りがこめてきた。
「あの駅員はお金をとってまで嘘をついたのか!」と正直むかついた。
「Sorry」と場所替えをした。

別のインド人夫婦とその娘らしき少女が座っていた。
俺は、3段ペットにのぼって、そこで寝ることにする。

列車も動いて、どのぐらい時間がたっただろうか?

突然、もっちに起こされた。
「なんだ?」と言うと、「隣のインド人から飯をもらったよ!すごくおいしい!」と言う。
「それぐらいで起こすなよ…」と捨てセリフを吐き、再度寝ようとするが、なかなか寝付かなかった。

だが、少し寝たので体調がよくなった気がする。
3段ベットからおりて、もっちの隣に座る。

もっちは一緒に座っていたインド人と話をしていたらしい。
もっちは「その夫婦は新聞記者をやっておるんだ。」と言う。
住まいはデリーなのに、なぜバラナシに来たのか?
と聞くと親戚のお祭りがあって来たらしい。
そのとき、"食べる?"と夫は食べ物を恵んでくれた。
その食べ物はカレーみたいなものだが、本当においしかった。
空腹だった俺はとてもうれしいことだった。
そのインド人から"今の日本の総理大臣は小泉だね。"とか"小泉は自衛隊をイラクに派遣させた"とか話題が出て、俺はもっちに"そうですね。だが、俺らは戦争を早く終わって 欲しいと心から願っています"ともっちに通訳を頼み、 もっちがそれを英語で筆談して夫に言ってくれた。
夫は"同感だ!"とうれしそうな顔になる。
そして、インド夫婦から"明日、デリーで、夜にパソコンでもメールしてくれれば、迎えに行きます。一緒に食事しませんか?"と誘われる。
突然の誘いで焦った2人だったが、うれしい気分だった。
そして、"日曜日は私の車で観光案内してあげます"と言う。
実にタイミングが悪かった。
俺たちは素直に"明日の夜、デリー空港に行かなければなりません。とても残念です。次回来たときに案内と食事をお願いできますか?"と言ったときに相手は残念そうに"OK"と言ってくれた。
仲良しになった夫婦と子供で、色々話題が弾んだ。

俺ともっちは別の空いている席に移り、窓側から景色を眺めていた。
本当になにもない景色だった。
ひたすら草原が広がっている。

途中で、別のインド人が"飯はどうする?"と言って来た。
飯代は一人50Rsだった。
俺ともっちはOKと頼んだ。

退屈になりかけたので、俺はもっちに「しりとりをやろう」と言う。
挑戦を引き受けたもっちとしりとりゲームを開始した。
しかし、もっちは汚かった。
例のようにもっちは言ってくるのだ。
俺:いるか→もっち:かえる→俺:ルーマニア→もっち:アイル→俺:ルピー→もっち:ピルなどのように最後の文字が「ル」につながるような言葉ばかり考えるのだ。
汚え!と思った俺はなんとかチャンスにつながらないと!と思って、「ルール」で逆転させた。
もっちも「ル」につながる言葉を必死に連想して、激しい戦いが繰り返されていった。
最後は俺がギブアップした。
すごい頭を使うしりとりだったので、俺ともっちは疲れた。

途中の駅に着くと、人が沢山乗ってきたので、元の席に戻った。
列車の中は満席になって、しばらく後、もっちが気分が悪くなってきた。
トイレで吐きに行ったりするのである。

そのとき、飯が届いた。
航空機に並べる飯と妙に似ているのである。
カレー2種、チャパテイ、ミネラルウォーター、インド風ヨーグルト、ご飯、果物セットだった。
もっちは食欲が全然ないので、それに心配したインド夫婦は「大丈夫か?」と聞かれる。
俺は"もっちは食欲ない。返品はできない?"とジェスチャーで聞いてみると、優しいインド夫婦は返品はできないが、量を減らしてくれとほかのインド人に頼んできたのだ。
俺は全部食った。
その中、インド風ヨーグルトとミネラルウォーターはためらった。
インド風ヨーグルトは正直言ってすっぱすぎる。
すっぱいというよりも俺にとってはまずくてすっぱいものだった。
ミネラルウォーターはビニールに入っているものだったが、そのビニールを見るととても古いのだ。
腐っているんじゃないのか…と不安になったが…。

インド夫婦にもっちの病名を言って、"薬はありませんか?"と聞いてみた。
すると、近くにドクターがいたので、彼に聞いて薬名を話してくれた。
その薬を持っていたので、液体みたいなものをもっちに渡して、もっちはそれを飲んだ。

そして、"そろそろ寝る"と言うと、2段ペットを用意してくれた。

なにもかも皆は親切である。
俺はベッドの上段、もっちは中段で寝る。

明日は6時半ぐらいにデリー駅に到着予定である。
少々早いが、21時ぐらいお互い深い眠りにつくのであった。
旅もいよいよ終わりに近づいていた。

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