8
123567
戻る

2日目
ほとんど寝てたので、インド到着はあっという間だった。

航空機の窓から眺めてみると、あちこち街の灯が見えてくる。
そして、デリー周囲になるとその街の灯が次第に増えてきて、航空機も高度を落としていった。
フィリピンと同様、インドも街の灯がオレンジ色に輝いているのだ。
日本で言えば高速道路の灯りと同じである。

着地の振動と共にインドに到着した。

時計は2時半を指しており、インド到着予定時間通りである。
航空機から降り、入国ゲートまで向かう途中で空気のにおいが変わった。
お香のにおいであり、他国だと一瞬で実感できた。

入国ゲートは混んでいた。
真夜中でも働いているスタッフに感心した。
ハオは入国スタンプをもらって、入国したのだがもっちがなかなか入国できない。
スタッフと揉めている。
30分近くも待たされて、ようやく入国できたもっちで、その事情を聞くと「インドの宿泊地を書けと言われて、困ったよ。まあ、適当に書いてやった。」
俺は書いていなかったのだが、もっちと違って簡単に入国できたのが不思議だった。
たまたまスタッフが甘い方だっただろうか?

そして、空港内でもっちの携帯万能ナイフが届くまで待ち、近くにある両替所で4万円持参した日本円を1万5千円ほどルピーに両替してもらった。
そこで気がついたのだが、ドルから両替した方が日本円よりも高くなることだった。

両替後は空港内にて、インドのホテルへ運んでくれるスタッフを探しまわった。
我々の名前が書かれてあるプラカードを持ったスタッフが待っていると成田空港のスタッフから聞いたのだが、どこにも居ない。
困った2人は、空港内にいる警備員or別のスタッフに事情を説明すると、"空港内を出たところにいると思うよ"と、あいまいな返事しか返ってこなかった。
空港を出て、たくさんのインド人が並んでいるところを歩かないといけなかった。
そのインド人はいくつかのプラカードをもっていたのだが、どれもホテルとかタクシーの勧誘者で、我々の名前が書かれたプラカードは一つもなかった。
おかしいなあ・・・と空港内に戻ろうとするが、警備員に止められた。
"プラカードを持ったスタッフがいない!"を説明すると、特別に再度入れさせてくれた。
さっきのスタッフに聞いてみると、同じ返事しか返ってこなかった。
やる気のなさそうなスタッフだったので、別のスタッフに聞こうとする。
そうすると、女性組のスタッフが積極性に"私が代わりにやったげるよ"ということで安心した。
そして、再度空港内を出て、怪しい両替所の近くにある旅行会社のところに連れてってくれ、色んなホテルを調べてくれた。
しかし、そのスタッフも怪しく思えた。
"列車旅は危ないよ!"とか"やめた方がいいよ!"という風にマイナス発言しか言わなかった。
ハオはそれぐらい覚悟はしていると思っていたのだが、一番の問題はもっちだ。
その「危ない」という発言ですごく顔色が悪くなる。
そして、"列車は満席で席を取ることは難しい"と言ってきて、"ミニカーでアーグラまで移動してデリーまで戻るコースもある。
そのコースは1万2千円かかる"という話を持ち出してそのスタッフは旅行会社のグルじゃないだろうか?と怪しく思って、断った。
話は1時間も続き、その旅行会社のスタッフは疲れたせいか、"他の旅行会社に行ってくれ"と追い出された。

「朝まで空港内の待合室で寝て、そして駅に向かおう」ともっちに伝えて、空港内に入ろうとするが、さすが2回目は警備員に断れてしまった。

どうしようかなあと考えていたが当初の1日目はやはり安全でちゃんとしたホテルに泊まりたいという気持ちがあったので、「分かった。これからホテル探して昼間まで寝て、そして駅に向かおう」と決断した。
別の旅行会社で、安いホテルへかたっぱしから電話してみたがどれも満席だった。
そんな折、旅行会社の人から"おすすめのホテルがある"とすすめられた。
値段を聞いてみたところ、20ドルと言ってきた。
2人で2100円ぐらい・・・
まあ少々高いが1日目だからそれぐらいの値段は仕方ないと思い、そのホテルをお願いしてみた。
インド人は「Come on.」と手招きをして、そのインド人についていき、ミニカーでホテルまで連れてくれた。

大体1時間前後で、ホテルに到着。
そのときは朝5時ぐらいであり、ホテルの受付の人を起こしてしまったそうだ。
不機嫌そうな受付人だったが、1部屋しか空いてないということで、その部屋を見てみるとまあまあだった。
泊まるぐらいなら丁度いい部屋である。
そのホテルに泊まることに決定すると、パスポートを見せ、色んな手続きをして部屋に荷物をおろしてようやく一息つくことができた。


「朝10時ぐらいに起きよう」という話になって、疲れが出たせいですぐ深い眠りにつく。
しかし、寒かった。
朝9時ぐらいに起床して、窓のところを見てみると、少し冷たい風が窓の隙間から侵入していることが分かった。
そして、窓からはまぶしい光が差し込んできた。
快晴である。

そしてシャワー後、チェックアウトすることにする。

ホテルのスタッフ達は皆、親切だった。
カメラ撮ろうという話になると、皆は盛り上がってカメラに夢中になる。
陽気なインド人である。


すると、一人のインド人が"おすすめ旅行会社を紹介する"と言って来た。
怪しい人なのか分からなかったが、ついていく気持ちはなかった。
もっちが「リコンファームだけはしようよ」ということで、その旅行会社で取らせてもらおうと思って、"紹介してくれ"とお願いしてみた。

ミニカーでその旅行会社まで20分ぐらいだった。
その旅行会社の名前は「ITDC」という。

そのインド人は旅行会社の社長だったらしく、"チャパティを食べる?"とご馳走してくれた。
(チャパティは小麦粉をこねてねかせておき、直径15cm位に薄く拡げて焼いたものでインドでは主食です。)

そしてその店長は"俺はガールフレンドが4人いるぞ!"と自慢してきた。
えっ!?ガールフレンドってたしか日本語で言うと「彼女」に当たるよね・・・?
4人って何人も交際してもインドは文句言われないんだ?
それとも女性の友人が4人いるぞという意味だろうか?
よく分からないまま、話を聞き流すことにする。


そして、リコンファームを済ませておき、これからどうするんだ?と予定を聞かれ列車からアーグラに行き、アーグラからバラナシに行く予定をたてていると説明すると、"どこの列車も満席だよ"と教えてくれ、社長から"ジャイプル、アーグラはミニカーで移動して、2泊のホテル手配。そして、ツンドラ駅(アーグラの近く)からムガール・サライ駅(バラナシの近く)。ムガール・サライ駅からデリー駅まで2等列車予約でやるのはどうだ?"と言われた。
たしかにおいしい話なのだが、その前に「How much?」と値段を聞いたところ「400ドル」という答えが返ってきた。
日本円に直せば42000円ぐらいである。
"そんな金はない!もっと安くしてくれ。コースはジャイプルは、なしにしてもいいからさ"をもっちに通訳を頼んで、それをもっちが英語で筆談すると…
今度は「250ドル」と言ってきた。
26250円ぐらいである。
現在、所持金は36000円ぐらいであり、一気に9750円にまで減ってしまうわけだ。
安全は保障される。
だが、これからの旅についてやっていけるかどうかも不安である。
お土産も買わないといけないし、食事代も考えられる。

(帰国後、よく考えれば旅行会社をことわり、そのままデリー駅で列車予約をし、2日間デリーで観光をして、3日後はアーグラかバラナシに行くという方法もあったのにそこまで頭がまわらなかったということを反省している。)

そのITDCで「アーグラまでミニカー、アーグラでホテル手配、そしてツンドラ駅からムガール・サライ駅、ムガール・サライ駅からデリー駅までの列車予約」というコースでお願いしてみた。
ITDCに日本円25000円と500ルピーを渡して、いくつか手続きを済ませあとは待機という形になった。

そのとき、インド人の店長らしき人から"私は日本の物を集めている。なんか日本の物があったらくれないか?"と聞かれたが、そのときは貴重品しか持っていなかったので、"帰国したら送ります"と適当な約束をした。

待機中、別のインド人が手招きをした。
表には車が置かれてある。
「もう出発なのか?」と思った2人であったが、その車は旅行会社から10分先にあるところに止められた。
よく見るとそこはお土産屋さんだった。
"No!Go Agra!(必要ない!アーグラに行ってくれ)"と言うが、 "まあまあ"とインド人に誘われるまま建物の中に入る。

最初は地下1階でカーペット売り場に連れてかれ、色々カーペットを見せられ最後は"買わないか?"と聞かれた。
「旅がはじまったばかりなのに・・・」と困った2人だったので "今度来た時、再度行きます"と適当な嘘をかませ、その場を去ろうとした。
しかし、今度は2階に連れ去れ、インドの服装を見せられた。
貴族が着る服である。
これもカーペットを断った同じ言い方で言うと、 "分かった"と不機嫌そうな顔になって、ITDCまで連れ戻された。
一体なんだったんだ…とハオはポカンとしていた(笑)

そして、ITDCの店長が"裏で車を止めてあるよ。出発だよ!"と教えてくれ、「Agra?」と念のため聞くと「Yes」と返ってきた。
ITDCから派遣したドライバーらしい人と車に乗車した。
すると、あとで一人の男の人が車に入ってきた。
同行するらしい。
一体誰だろうと焦っていたが、そのドライバーの人は「my son.(私の息子だ)」と紹介してくれた。
そして、ドライバーの人は40代〜50代の人で名前は「TABOL(タブール)」と言って息子の方は20歳の人で「SOMIT(サミット)」と教えてくれた。

車で20分ぐらいした場所に、インドの名物っぽい所が見えた。
もっちが「インド門だよ!」と教えてくれた。
(インド門:高さ42mのインド門は、第一次世界大戦で戦死した9万人のインド兵士のために建てた慰霊碑。
祖国独立を信じ、イギリス側に協力して参戦した1万3000人の名前が、壁面に刻まれている。 )


インド門を後にして、車は更に進む。
次第に街々が草原に変わってきた。


これからデリー〜アーグラまで大抵9時間かかる。
現在11時半で、アーグラに到着するのは夜の20時ぐらいだとタブールは言っていた。
そして、途中にサミットが「Do you eat? My mother made.(食べる?私の母が作ったんだ)」と朝飯らしいものを出していた。
チャパティとカレーみたいなのをミックスしたものだ。
もっちは不安そうな顔をして俺を見ていたが、俺はなにも心配なく食べた。
辛かったが、とてもうまかった。
「大丈夫だよ」ともっちに言うと、安心した顔でゆっくりと警戒しながら食べていた。
そして、満腹になり、ハオはそのまま眠りについてしまった。
すると、突然もっちに起こされた。
「なんだよ?」と不機嫌そうに言うと、「睡眠薬で眠ったと思ったよ」ともっちは言う。
本気で言っているのか…
「眠いだけだよ!それに睡眠薬入っていたら、もっちも寝ているはずだろ!」とそう言うと、「ああ、そうか」と納得した顔するもっちだった。
心配性にもほどがあるよ!!と、心底そう思ったハオでした。

そして、ハオは暇つぶしとしてシャッターチャンスで、インドらしい写真を狙っていた。



時計の針は13時半を指した。 タブールは「Lunch?」と言ってきた。
朝飯食べたばかりでそれほどお腹すいていなかったが、まあ「OK」と言うと、車はレストランらしきところに止まった。

しかし、びっくりした。
そのレストランは高級そうだった。
何度も「How much!?」と焦って聞いても、タブールは「NoProblem」と言ってくる。
もっちも「高そう…」と心配そうな顔をしている。
「中に入ってから決めようか」ということで、レストランの中に入る。

レストランの中はからーんとしていて、誰もいなかった。
おまけに照明もついていなくて暗かった。
タブールが、店員らしい人を呼んで、「Menu」と言って、店員はそれを持ってきてくれた。
さて、問題の値段は…?
あれ?それほど高くなかった。
日本人から見れば、かなり安いレストランだった。
安心した2人は、カレーのご飯らしいもの、
マンゴジュースとオレンジジュースみたいなものとミネラルウォーターを注文した。
それだけで、100RS以下であって、250円ぐらいである。


そんなにお腹すいていないことをタブールは察中して、"カレーのご飯を各半分してくれ"と店員にお願いしてくれた。
カレーのご飯が届くとたしかに半分ずつさせられていたが、なにしろ驚いたのは半分でも充分1人前の量であった。
おまけに、日本人も舌を巻くぐらいめちゃくちゃおいしかったのだ。

食後、満腹となり、気分も爽快で外に出ようとして、会計を済ませる。
すると、店員らしい人がなにかをつぶやいている。
よく聞くと「Tip(チップ)」と言っていることが分かった。
いくら払えばいいだろう…ともっちと相談して、一応20RSを渡すとしばらく沈黙後、「Thank you very much♪」と笑顔でおじきしてくれた。
どうも妙だったので、「高すぎたか?」と思ったがあとでガイドブックを見ると、5RSぐらいが妥当だったということが判明。

そして、外に出ると、刀を持ったインド人らしい人がいた。
「本物なのか!?」とハオは目を輝かせながらその刀もったインド人と写真を撮った。
刀を持たせてくれた。その刀はとても重かった。
切れ味も鋭いので、本物だということが分かった。
最後に5RSぐらい渡すと、そのインド人は目を点にさせ、珍しそうに5RSを持ったままにしている。
「安かったのかな?」ともっちに聞くと、もっちは「普通、チップはあげないんだよ。インド人には元々チップというものがないんだ。それが白人、黄人が誤解してチップをあげたりしているからそれが広まっただけだ。」と説明してくれた。
そして、最後にドライバー達とその刀を持ったインド人と写真を撮らせてもらった。


いよいよ、出発となると…
前方からバスがその車の前にブレーキをかけた。
衝突しそうだった。
すると、タブールは車から降り、そのバスの運転手に向かう。
まさか、喧嘩するのか…と心配そうに眺めると、
タブールはバスの運転手と握手を交わしたり、笑顔で話しかける。
サミットは「Friend.」と言って来る。
タブールの友人だということが分かった。
バスの運転手もめちゃくちゃうれしそうにタブールと会話をしている。
どうやら、久しぶり会ったそうだった。

出発するつもりだったのに、再び車から降りるとバスの運転手は、ハオともっちに握手を求めてきた。
そして、「Chai?(チャイ?)」と言ってくる。
「How much?」と言うと、インド人は"いらないよ"というような顔をして、手を振ってくる。
なんとご馳走してくれるそうだ。
「Thank you!」とその好意を受け止めた。
(チャイ:粉状の紅茶とショウガとミルクたっぷりと砂糖とガラムマサラ(スパイス)を入れて、鍋で煮だして作る。
あまくてまろやか。体にもよさそうで、だれでも一日に何度も飲む。
チャイ屋はいたるところにあり、移動チャイ屋もたくさんいる。 )

そういや、インドに来てから、チャイを飲むのはこれが初めてである。
バスの運転手がチャイを持ってきてくれた。
そのチャイはすごくうまかった。

すると、バスの中から日系人が沢山降りてくる。
俺は「Japanese?」と聞いてみるが、タブールは「No.Korean(韓国人だよ)」と言ってきた。

本当にタブールとそのバスの運転手は久しぶりの再会だったらしく、話し合いがなかなか終わらなかった。
1時間ぐらいして、ようやく出発となった。

今までの遅れを取り戻すように、車は猛スピードで幾つかの車を抜いていった。

途中、日が暮れてきて、その夕焼けはとてもきれいだった。
しばらくハオはその夕焼けを見つめていた。

そして、太陽は地平線に沈み、周囲も暗くなってきた。
そうすると、街灯がついていないので、本当に闇の中を走っているようだった。

その時に反対側から、真っ赤な月が見えてきた。
その月が高くあがってきたときに、普通の色の月になった。
その不思議な現象を楽しく見つめ続けてきたハオでした。

20時ぐらい、ようやくアーグラ到着となった。

すると、お祭りみたいな雰囲気の騒ぎを目撃する。
なんだろうと気になっていると、タブールが「Marriageceremony(結婚式)」と教えてくれた。
へえ!インドの結婚式ってこういうものなのかと撮影をしてみた。
(しかし、車の振動によりブレてしまい失敗)
その結婚式はひとつだけじゃなかった。
あちこちにもあった。計5回以上は見たのである。

21時ぐらいに車はホテルらしき所に到着した。
そのホテルは結構豪華だった。

すると、タブールが「Dinner?(夕食は?)」と聞かれた。
ハオはビールを飲みたい気持ちだったのでタブールとサミットに「Beer.Beer.」と一緒に飲もうと言う風なジェスチャーをすると、それが通じたらしく、タブールとサミットは笑顔になって「Okey!!」と言ってきた。
そしてタブールは"その前に荷物を部屋に置いて、シャワーを浴びてから1時間後ロビーで会おう"と約束を交わす。

ロビーで色々な手続きを済ませ、ボーイ達に部屋まで案内してもらった。
しかし、ハオはボーイに対してちょっと嫌な気持ちだった。
心の中では「あとでチップを払うのかよ…」と思っていた。
部屋まで案内してくれても、ハオともっちはチップを払わないままだった。
ボーイはチップ目当てで部屋の中で何度も待ったようだったが、次第に諦めて帰った。

ようやく落ち着けた。
部屋の中は豪華だった。
なんと、風呂もあり、テレビもあるのだ。


早速、テレビを見てみる。
すると、プロレスをやっていたので、プロレス好きな2人はそれを夢中になって眺めていた。

すると…
プツン!!

なんと停電が起きたのだ!!
部屋の中は真っ暗になった。

しばらく後、再び電気がついた。
本では「インドはよく停電が起きる」ということで、ホテルの中でも停電が起きるとは…と面白い体験をした。

1時間ぐらい過ぎたので、ロビーに向うと、タブールとサミットが待っていた。

そして、車でタブールがすすめるレストランに連れてくれた。
価格を心配したが、そこもそれほど高くなかった。

なにを頼もうかと悩んでいたとき、もっちが「僕はタンドーリチキンを食べたいね」と言ってきた。
(タンドーリチキン:インド料理の代表的なもので、何種類ものスパイスとヨーグルトを混ぜたどろっとしたマサラに漬け込んだチキンを深い壷形のタンドール窯で高温で焼きあげたものです。)
料理の中ではタンドーリチキンが一番高かった。

その後、いろんな料理が並び、皆と乾杯をして、沢山食べ、沢山飲んだ。



しかし、旅の疲れなどにより酔いも早く、ここから記憶が全くないのである…
無事にホテルに戻ったようだが、すぐ寝たような気がします。
こうして長い長い1日は終わった。


1日目へ← →3日目へ

戻る
当サイトに掲載されている文章、写真等の無断転載・転用を禁止します。
inserted by FC2 system